雨ニモマケズ」という詩の全文を暗唱している方はおられるでしょうか?

 

私の場合は、途中でつまってしまいました(苦笑)。

 

もちろん、「雨ニモマケズ」は、宮沢賢治の最も有名なです。

 

今回、改めて全文を読んでみて、新鮮な発見があり、えるものが大きかったのですね。

 

そこで、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の全文を、引用してみますね。

雨ニモマケズ~カタカナ表記

 

 

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋(いか)ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ蔭ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

 

「雨ニモマケズ」は詩として書かれたものではない?

 

この詩編は、実は詩として独立して書かれたわけではなく、闘病中の手帳に記されていたという話を聞いたことがあります。編者が後に、詩集に加えたらしいのです。

 

詩として書こうとしなかった詩だからこそ、これほどまでに、素直に、自分の思いを表白できたのか……そこには深い理由があるのでしょう。

 

それはともかく、何という言葉の力でしょうか。その純粋な強さに、あらためて驚嘆せざるをえません。

 

ここには表現テクニックというものは全くありません。そういう技巧をあえて排し、いえ自然と消えたところに、宮沢賢治の魂が、蓮の花のように浮き上がってきた、そんなふうに感じるのです。

 

それほど、詩人が自分の修辞学という呪縛から逃れるのは難しい。宮沢賢治が独自の表現を目指して書いたであろう詩には、駄作(結果として失敗している作品)がなんと多いことか……

 

「雨ニモマケズ」は感傷的なヒューマニズムの詩ではない。

 

多くの人はすでにお気づきかと思いますが、この「雨ニモマケズ」を、能天気な底の浅い、自己陶酔的に人間愛を語る、薄っぺらな詩ではないということでは、確認しておく必要があります。

 

宮沢賢治の有名な言葉に「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(農民芸術概論綱要より)」があるのですが、おそらくは、この発言も苦悩と葛藤の最中でされたと推測できます。

 

残酷なことですが、理想とは打ち砕かれるためにあるのかもしれません。数えきれないほどの挫折を繰り返したのちに記したであろう「雨ニモマケズ」という宮沢賢治の言葉は重いのです。

 

さらには、この「雨ニモマケズ」を自分の詩集にも入れなかったという現実も忘れてはならないでしょう。

 

宮沢賢治は決して楽観的に人間愛を述べているのではありません。この世の人がみんな幸せになればいい、という願いは、絶望の底からの祈りに似た切なる願いだったのかもしれないのです。

 

ただ、あまり大げさに考えずに、「雨ニモマケズ」は読んだ方がいいと思っています。さまざまな論争が行われてきた作品ですが、あまり生産的ではありません。

 

心を無にして読めばいい、それがすべてです。

 

雨ニモマケズ~ひらがな表記

 

ところで、この「雨ニモマケズ」はカタカナが多いために、読みづらいと感じた人も多いのではないでしょうか。

 

と同時に、いやいや、この詩はカタカナをひらがなに変えたら、詩の価値が下がると思った人もおられるでしょう。

 

では、実際に以下で、カタカナをひらがなに変換してみましょう。

 

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けない

丈夫な体を持ち

欲はなく 決して怒らず

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見聞きし 分かり そして忘れない

野原の林の下のかげの

小さなかやぶきの小屋にいて

東に病気の子供がいれば

行って看病してやり

西に疲れた母がいれば

行ってその稲の束を背負い

南に死にそうな人がいれば

行って怖がらなくてもよいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに 私はなりたい

 

いかがでしょうか。

 

私としては、カタカナの方がしっくりきます。

 

というか、文学的な価値という観点からも、カタカナでなくてはいけなと思うのですね。

 

なぜか?

 

カタカナですと、非日常を現出できる、また、特別であることを強調できから。

 

ひらがなでは、普通の日常のままであり、スペシャリティを表出できないのです。

 

有名な芥川龍之介のラブレターも、カタカナでなければ、恋文の傑作と評価されないことがわかりますよね。

 

⇒芥川龍之介のラブレターは手紙の名作

 

名作は作者から離れて、独り歩きする。

 

私は二十歳そこそこ頃に「中原中也論」と「八木重吉論」を書きました。こよなく愛してやまない二人の詩人について、どうしても自分の思いをつづってみたかったのです。

 

しかし、最近になって、詩人に関する評論などは不要ではないか、そういう想いが強くなってきています。

 

「雨ニモマケズ」が広く知られ、愛されてきているのは、宮沢賢治から離れて独り歩きしているからに違いありません。

 

宮沢賢治の伝記を読んだこともなく、宮沢賢治のことを何も知らない人が、「雨ニモマケズ」を読んで共感する、それだけでいいのではないか。

 

かつての私がそうであったように、「私はこんなにも深く宮沢賢治を理解している」という強い思いを強く訴えたくなる。しかし、そうした自分の情熱の押し付けは、多くの人にとって単なる迷惑でしかないのかもしれません。

 

何回ともなく私は述べてきているのですが、詩は自由に読んでいいのです。正解は一つではありません。いえ、正解などない方がいいでしょう。

 

詩を読む人が自由にその詩を味わえばいい。自分の深読みを他人に強要してはいけない、と私は何度も自分自身に言い聞かせているのです。

 

読んで軽やかな詩の向こう側に、作者の苦悩が見えてくる時がある。しかし、その詩の「軽やかさ」を私は素直に楽しみたい。

 

作者に苦しみや哀しみがないわけがない。ただただ軽やかに生きている人は、そもそも詩など書かないだろうから……。

 

宮沢賢治のプロフィール

 

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治)は、1896年(明治29年)8月27日 に生まれ、1933年(昭和8年)9月21日に死去した。享年、37歳。日本の詩人、童話作家。

 

仏教(法華経)信仰と農民としての生活が、詩作の根底にある(創作の源泉となっている)ことが他の詩人と大きく異なる。

 

作品中に登場する架空の理想郷に、郷里の岩手県をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。

 

彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。

 

生前に刊行された唯一の詩集として『春と修羅』、同じく童話集として『注文の多い料理店』がある。

 

「雨ニモマケズ」のパロディ?

 

なお、「雨ニモマケズ」のパロディ的な詩、「雨にも負けて」もあるのですが、これがなかなかどうして侮りがたい魅力が……以下のページでご紹介。

 

⇒雨にも負けて