宮沢賢治の詩と、宮沢賢治に関する特集記事をまとめてみました。
宮澤賢治に関する特集記事
宮沢賢治の詩
テーマは「詩」と「日本語」。風花未来が美しい日本語で書かれた詩などをご紹介。
宮沢賢治の詩と、宮沢賢治に関する特集記事をまとめてみました。
このページでは、明治維新から現代にいたるまでに登場した、いわゆる日本の近代詩人と現代詩人の中から、どうしてもその詩を読んでいただきたいと思う詩人を厳選してみました。
日本には詩の黄金期がありました。昭和初期がそれにあたり、おそらくは世界一、優れた詩人が数多く登場し、優れた詩作品を発表したと私は客観的に評価しております。
したがって、わずか数名を選出するのは困難ですが、以下のポイントを重視して選出しました。
詩が身近ではない人がほとんどという嘆かわしい状況をふまえ、崇高な文学性を尊ぶよりも、多くの人々に詩の魅力を味わっていただける、広く愛されうる作品を書いた詩人を選びました。
詩に親しむ習慣のない人にも「そうか、日本にはこんなに素晴らしい詩を書く詩人がいたのか、本当に素晴らしい」と感動していただけたら幸いです。
※詩人名に貼ったリンクの先には、その詩人の詩作品の一覧を掲出しておりますので、詩人名をクリックして、作品ページをご閲覧ください。
童謡詩というジャンルや時代をこえて、広く愛される国民詩人として、今もなお時を経るにしたがって評価がたかまっているのが、金子みすゞです。
金子みすゞの生涯は、わずか26年でしたが、金子みすゞの詩は永遠の光芒を放っている、そのことを漠然と感じるだけでは足りなない、もったいない、と私は痛感しています。
明星のような「きらめき」が金子みすゞの詩にある……その「きらめき」には秘密があります。その「きらめき」の謎を解き、秘密を明らかに具体的に語ることで、さらに金子みすゞの詩の真の魅力を広く伝えて行きたいのです。
なぜ、みすゞの詩は明星のように今もなお、光輝いているでしょうか。
優れた詩に求めれる要素はさまざまです。金子みすゞの詩には、みすゞには以下の3つの要素が際立っています。
1)感性の瑞々しさ
2)情感の豊かさ
3)純粋無垢な愛の発露
以上の3要素がすべて際立っている詩は、名作と呼ばれるものでも少ないのです。他の優れた詩人の詩と金子みすゞの詩を比較してみると、以上の3要素において、金子みすゞの詩がいかに突出した輝きを放っているかに気づいていただけるかと思います。
実は、みすゞの詩の「きらめきの秘密」は、これだけではありません。
この3要素を詩に詩作品として結晶化しつつ、金子みすゞは一つの到達点(新境地)を示しているのです。
私は金子みすゞの詩の世界を「慈哀美(じあいび)」と称しています。
この「慈哀美」については、以下のページで詳しく語りました。
宮沢賢治の詩は、当ブログでは3作しかレビューしておりません。それなのに2番目に選んだのには意味があります。
「永訣の朝」と「雨ニモマケズ」を書いた詩人だからです。この二篇は全く性質の異なる詩ですが、文学的価値、あるいは日本の文学遺産という視点から選ぶなら、いずれも五指に入るのではないでしょうか。
「永訣の朝」は生と死を、「雨ニモマケズ」は利他愛をテーマに、永遠のメッセージを私たちに与えてくれています。
およそ三十年の生涯を詩を書くことだけに捧げた、それが中原中也の人生でした。
もちろん、中原中也の詩は、未刊詩篇を含め、全作品を読んでいますが、これほど駄作の少ない詩人を私はほかに知りません。
感性、技量、創作姿勢、天分など、優れた詩人を形成する様々な要素に、最も恵まれていたのが、中原中也だったと私は思っています。
中也の実人生は不安定で、平穏な暮らしとは程遠かった。しかし、「一つのメルヘン」という傑作を書いたことで、中也の詩人としての一生は怖ろしいほど美しい完成を示したのです。
中原中也は「魂と宇宙との調和」を願いつづけ、それがかなえられない「哀しみ」を詩にし続けたのだと思います。
この姿勢というか傾向は、詩人にはある程度は共通することでしょう。ただ、中原中也の場合には、その願いがあまりにも激しかった。
中原中也の悲劇は、その願いの激しさと性急さ、理想とのギャップの大きさにあります。
ただ、中也の詩には、形式的に整ったものが多く、その均衡の中に、不思議な安らぎを私たちに与えて続けてくれているのです。
いかがでしたでしょうか?
金子みすゞ・宮澤賢治・中原中也には、共通点があります。その共通点については、以下の記事で詳しく述べましたので、ぜひお読みください。
この日本という国に、金子みすゞが生まれて、素晴らし詩を書いてくれたことに、「ありがとう」とお礼を言いたい気持ちです。
金子みすゞは、いま最も人気の高い詩人の一人です。
インターネットの検索数を調べると、1位が中原中也で、たぶん2位が金子みすゞではないでしょうか。
人気度だけで、詩人を評価したいとは思いません。ただ、現代人がいま最も求めていることを表現している詩人の中に、金子みすゞが入っていることは間違いありません。
では、金子みすゞが多くの日本人に愛される理由について、考えてみましょう。
「利他愛」を感じさせてくれる詩人だから、金子みすゞは多くの人に愛読されている、と私が言ったら、あなたはどのように反応しますか。
自己愛の反対語が利他愛。
すべての人間は利己的な面を持っています。文学者の夏目漱石は人間のエゴイズム(利己主義)を、小説「こころ」で追求しました。
現代人は「今だけ、金だけ、自分だけ」の生き方しかできなくなっているとは、よく言われることです。
「今だけ、金だけ、自分だけ」とは「刹那的で、お金しか信じられないで、自分のことだけで精いっぱい」という意味でしょう。この感覚は、もはや価値観でも生き方でもなく、「病い」であり、現代社会にまんえんする「心の貧困化」を示しているとも言えそうです。
そうした味気ない生活を強いられている現代人の心に、潤いを与えてくれるのが、金子みすゞの詩だと思われます。
「今のことだけにあくせくしていたら寂しすぎる。お金以外に大切なものがあるし、自分のことだけ考えてるんじゃなくて、他人を思いやる気持ちを持つと人生はずっと豊かになるんだよ」と面と向かってお説教されたら逆切れするかもしれませんが、金子みすゞの詩なら、素直に受け止める人が多いのではないでしょうか。
金子みすゞに劣らない人気詩人がいます。それが、中原中也です。
日本近代詩人の中で人気ナンバーワンは中原中也でしょう。この人は、自己愛が強すぎるというか、自己欺瞞を許せない。利他の精神を詩で表出することはほぼありませんでした。
自分自身をとことん疑ってかかるという近代文学者の苦悩を、宿命的に背負っていたのだと思います。
中原中也の詩は、自己矛盾に苦しんだ者の切実な告白という要素が強烈であり、中原の詩から「利他愛」を感じ取れる人は、少ないでしょう。
もちろん、中原も他者を愛する気持ちは人一倍強かったに違いありません。
しかし、自己との葛藤にあえぎ続け、他者への愛を静かに表現する、心の余裕はなかったのです。
中也の魂の欲求は、あまりにも激しく、性急すぎた。
中原中也を自己中心的な人物だと批判したいのではありません。これは資質の問題だと私は思っています。
中原中也が単なる利己主義者であるなら、これほどまでに時代を超えて多くの人々に、愛され続けているはずがありません。
ただ、中原中也の詩を読んでいると、辛くなることが多く、安寧が得られることはほぼありません。
なぜか?
中原中也も「愛と苦悩の人」なのですが、苦悩が大きすぎるのです。
「詩心回帰」の中で私は「外なる世界と内なる世界をつなげて合一させる」という意味のことを書いています。
そうしないと、豊かな未来の創造は難しいと私は訴えているのです。
社会・政治問題(外なる世界/眼に見える世界)と、個人・心の問題(内なる世界/眼に見えない世界)をつなげるのを基本としているのが、私が提唱する「まどか学」なのです。
中原中也の眼はあまりにも「内なる世界」に向けられすぎていました。ですから、中原の詩に社会性がないのは当然なのです。
小林秀雄は中原中也の詩の特徴として「叙事性の欠如」を指摘しています。
自分の内面ばかり見つめて葛藤し苦悩していれば、叙事性を失うのは当然です。
もう一人の「愛と苦悩の詩人」である、宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と『農民芸術概論概要』で書いています。
「世界がぜんたい幸福」は「世界全体が幸福に」という意味ですね。
この有名な宮沢賢治の言葉から「利他愛」を連想する人は、多いのではないでしょうか。
さらに有名な詩「雨ニモマケズ」では、他者のために生きたいと願う、利他の精神がつづられているともとれます。
不思議なのは、私は私自身が詩作にのめりこんでいた二十代の頃は、この「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という宮沢賢治の言葉には欺瞞があるのではないか、と否定的にとられていたのです。
なぜ、素直に受け入れられなかったのか。
人は誰もがエゴイストであり、極限状況では、自分の命を守ることが精いっぱいで、他者を殺してでも自分が生き延びようとするだろう。だから、宮沢賢治の言葉はきれいごとではないか、と当時の私は思い込んでいたのでしょう。
ところが、世の辛酸をなめつつ歳を重ねてきた今現在は、逆に宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という言葉が、自己愛か利他愛かという次元から発していないことに、異なる視点から「個人」と「世界全体」を対比させたことに、ようやく気づき、なるほどと納得するようになってきているのです。
そもそも「愛」は「利己」と「利他」の2つにだけ分けて考えるものではありません。異なる次元の「大きな愛」もあります。実は、この「大きな愛」こそが私たち現代人には必要なのではないでしょうか。
宮沢賢治の先ほどの言葉が書かれた『農民芸術概論概要』を、もう少し長く引用してみましょう。
宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩をご紹介します。
眼にて云ふ
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明(せいめい)が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄(こんぱく)なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
童話(物語)作家でもあった宮沢賢治ならではの工夫が、この詩「眼にて云ふ」には見て取れる。
この「眼にて云ふ」は、物語と詩を合体させた「物語詩」だと私は呼びたい。
この詩を「物語詩」と呼び、「物語詩」独自の表現方法を分析することで、「眼にて云ふ」の魅力の秘密を浮き彫りにしてみたい。