丸山薫の詩「北の春」

美しい詩
この記事は約 2 分で読めます ( 約 734 文字 )

丸山薫の「北の春」というをご紹介します。

 

北の春

 

どうだろう

この沢鳴りの音は

山々の雪をあつめて

轟々と谷にあふれて流れくだる

この凄(すさま)じい水音は

緩みかけた雪の下から

一つ一つ木の枝がはね起きる

それらは固い芽の珠をつけ

不敵な鞭(むち)のように

人の額を打つ

やがて 山裾(やますそ)の林はうっすらと

緑いろに色付くだろう

その中に 早くも

辛夷(こぶし)の白い花もひらくだろう

 

朝早く授業の始めに

一人の女の子が手を挙げた

――先生 燕がきました

 

この詩を読んで、ふと「水汲み」という詩を想い出しました。

 

「水汲み」は大東亜戦争で亡くなった若者が、中国大陸で書いた詩です。

 

田辺利宏の詩「水汲み」

 

「北の春」も「水汲み」も、無条件の生命肯定、自然賛歌をうたいあげています。

 

しかし、「水汲み」を読む時、作者が戦没したという知識があるので、生命の歓びを、どうしても「死」と対比してしまいます。

 

対比することで、より鮮明な生命の輝きを感じるとれるのです。

 

では、「北の春」はどうか。

 

そこには「死」の影はありません。生命の輝きには、一点の曇りもありません。

 

詩の最終行は極めて大事なのですが、丸山薫は以下のように最後の連を描いています。

 

朝早く授業の始めに

一人の女の子が手を挙げた

――先生 燕がきました

 

女の子が「燕がきました」と、うれしい気持ちを無邪気に表白するエンディング。

 

この終え方こそが、この「北の春」の生命エネルギーが無限であることを、明るく告げているのです。

 

春が来た、そして来年も、再来年も、厳しい冬の次には春が来る。

 

時は流れるのではなく、巡るのである。季節も、永久に回帰し続ける。

 

たくましい自然の生命力を、技巧に走らず、まっすぐに描出したところに、この詩「北の春」の真の価値があるのだと思います。

関連記事
  • 栗原貞子の詩「生ましめんかな」

    栗原貞子の詩「生ましめんかな」

    今回は、栗原貞子の「生ましめんかな」という詩をご紹介します。生ましめんかなこわれたビルディングの地下室の夜だった。原子爆弾の負傷者たちはローソク一本ない暗い地下 ...

    2023/03/07

    美しい詩

  • 小林一茶の有名な俳句

    小林一茶の有名な俳句

    小林一茶の代表的な俳句をご紹介しましょう。雪とけて村いっぱいの子どもかな雀の子そこのけそこのけお馬が通る 我と来て遊べや親のない雀 涼風の曲がりくねってきたりけ ...

    2023/02/15

    美しい詩

  • 長澤延子の詩「告白」

    長澤延子の詩「告白」

    長澤延子の「告白」という詩をご紹介します。告白真紅なバラがもえながら散ってゆく日忘却の中から私をみつめる冷ややかな眼差(まなざし)しを知った夏の最中(さなか)が ...

    2022/03/18

    美しい詩