ツェーザル・フライシュレイの「心に太陽を持て」という詩をご紹介します。
訳詩は山本有三です。
心に太陽を持て
心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。
くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。
苦しんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。
ツェーザル・フライシュレンは、ドイツの詩人。1864年5月12日にシュトゥットガルトに生まれ、1920年10月16日にグンデルスハイムで死去。人の心を励ます詩「心に太陽を持て」(山本有三訳)の作者として、日本では有名です。
人々に勇気を与える詩と、口で言うのは簡単ですが、そうそう書けるわけではありません。
人生の応援歌を、自己陶酔して歌い上げたところで、人の心には響かないものです。
よほど、作者が誠実かつ真摯に、切々と訴えないかぎり、他人を元気にするは難しい。
では、この「心に太陽を持て」は、どうか。
真っすぐ、ですね。まず、このことに驚かされる。変化球なし。直球だけで、最初から最後まで、語りつくしている。
この詩は、私を無防備にしてくれた。これはすごいことです。
私自身、この「心に太陽を持て」を壁に貼って、毎日ながめて暮らしている、というわけではありません。
しかし、こういう詩を、この地球上に生きた人が、確かに書いてくれたのだ、その一点だけで、励まされます。
良い意味で「イノセント(純粋・無邪気)」になることが、現代人は苦手です。「純粋」は「馬鹿」なことだと勘違いしているふしがある。いつも警戒し、だまされないように注意して、ビクビク暮らしている人が多いのではないでしょうか。
現実は厳しいもので、こういう臆病な警戒心に凝り固まった人間ほど、だまされやすいのです。
逆に考えたらどうか?
警戒しているから、だまされて損をする。まるごと信じたら、良いことが起きる、そう思えないでしょうか。
これまでに、1回でも他者にだまされたことがある、そういう人に、ぜひこの詩「心に太陽を持て」を贈りたい!
ツェーザル・フライシュレンは、もう死んでしまった詩人ですから、何も疑う必要はありません。
条件をつけずに、まるごと、これらの言葉を受け止めましょう。ガードは要りません、無防備で良いのです。無条件に受け入れることは、相手を、ある時には人間そのものを、信じなければできません。
「心に太陽を持て」という詩は、書かれた内容のすべてを無条件に受け入れ、心の糧としたい、と素直に思えなければ、何の価値もない作品であるのです。
実は、すべての「尊い真実」も、すべて同じで、まるごと信じて、無条件に受け入れないと、意味がないし、何のプラスにもなりません。
私にとっては価値ある詩です。幸いなことに、作者の真っすぐな心を、あるがままににそのままに、私は受け止めることができたから。
「よくぞ、書いてくれましたね」と、作者に感謝したい気持ちでいっぱいです。