今回は西郷隆盛(さいごうたかもり)の名言をご紹介します。

 

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

 

これは「西郷南洲翁遺訓」(なんしゅうおういくん)の中にある言葉です。

 

「南洲翁遺訓」は旧出羽庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたもの。

 

保守の論客である水島聡氏が「チャンネル桜」の番組でしばしば紹介されるので、西郷隆盛のこの言葉を覚えてしまいました。

 

では、以下で、この言葉が示唆することについて、少しく書いてみることにします。

要するに、メリット、見返り、報酬など、損得勘定だけで動く人間が増えすぎてしまった現代において、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」こそが求められているということでしょう。

 

というか、目先の利益、便利さ、効率などを追い求めてばかりいたら、心が渇ききってしまうので、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」に自分もなれたらなりたい、という願望を持った人は多いと思われます。

 

西郷隆盛がいうのは、私欲も持たず、国家のために命を懸ける人物でしょう。

 

しかし、そこまで高い次元でなくても、そもそも、私利私欲を捨て、愛するもののために命をかける人間は、美しいものなのです。

 

そういう当たり前なことを忘れ、ちまちまと、要領よく立ち回ることしかできない人間があまりにも多い。

 

本音と建て前を使い分け、危険をおかしてまで信念を貫くよりも、都合の悪いことは見て見ぬふりをする、そういう輩ばかりになったら、この世は闇ではないでしょうか。

 

思えば、私が子供の頃、テレビに出てくるヒーローで、損得勘定だけで行動している者など一人もいませんでした。

 

古き良き時代に、日本人が愛した男性像は、「無法松の一生」の富島松五郎、「柔道一代」の姿三四郎、「天保水滸伝」の平手造酒など、特異な才能を持ちながら、まったく名誉だとか、地位には縁がない、我欲を捨てた生き方をした者たちでした。

 

平成の時代、そういうロマンすら忘れはてそうになるほど、現実の功利主義にどっぷりはまってきて、その結果、デフレで貧困にあえいでいるのですから、身も蓋もありません。

 

さすがに戦後70年以上も平和に浸りきってきたので、そろそろ本当に私欲を捨て、自分の志を持ち、夢にチャレンジしようという人が増えていると最近、感じる時があります。

 

令和の時代は、私利私欲を捨て、大志を抱き、ひたむきに生きる人が主役になる、そんな気がしているのです。