おそらくは、どんなに詩に興味のない人でも、高村光太郎の「レモン哀歌」はご存じだと思います。
「レモン哀歌」は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」とともに、日本近代詩の中で、最も広く知られる詩ではないでしょうか。
そういえば、この二篇は、あまりにも有名すぎて、当ブログ「美しい言葉」でも取り上げたことがありませんでした。
もしも、高村光太郎の「レモン哀歌」がなかったら、日本近代詩は別のものになっていたと思います。
決して大げさではなく、ぽっかりと大きな穴が空いてしまう感じるがするでしょうね。
では、その「レモン哀歌」の全文を引用いたします。
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にしたあなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
「レモン哀歌」以上に有名な智恵子抄の一篇はこちら
【動画】朗読)高村光太郎の詩「あどけない話」が智恵子抄の中で異彩を放つ理由
日本に限らず、世界を探しても、自分の妻に全身全霊の愛を注ぎ込み、その愛を詩にし、詩集を編んだ詩人はほとんどいないのではないでしょうか。
愛の死は本当に貴重です。なぜなら、本当に人を愛さなければ詩にできないから。
その上に、恋人に対する恋心を歌ったロマンチックな詩ではなく、妻への苛烈な、そして静謐な愛を、誰にも真似のできない光太郎ならではの形を生み出したことは、奇跡として言いようがありません。
しかもなお、妻の智恵子は結婚生活中に精神を病み、病んだ妻とともに生きるという、数奇な運命を全うしたのでした。
類まれな才能の持ち主であった高村光太郎ですが、智恵子なくしては、詩人として大輪を咲かせることはできなかったでしょう。
世界でも稀な愛の詩集「智恵子抄」、その中でも「レモン哀歌」では、光太郎が「死」とも向き合うことで、なお一層の高い結晶度を示しています。
日本近代詩には傑作が多いのですが、その中から一篇を選べと言われたら、私は宮沢賢治の「永訣の朝」か、高村光太郎の「レモン哀歌」を選ぶことでしょう。
「レモン哀歌」は「詩を文学的に評価するランキング」にて第2位にランクイン。
初めまして
YouTube風花チャンネルから飛んできました
私はひらがなですが、同じ名前のちえことして
智恵子抄に親近感を持って読んでおりました
このレモン哀歌も暗唱したくらい好きな詩です
中高校生だった遠い日がよみがえりました