今日、8月6日は「原爆の日」。アメリカ軍は、1945年8月6日に日本の広島に、8月9日には長崎に原爆を投下しました。8月6日を「広島原爆の日」、8月9日を「長崎原爆の日」とも呼びます。

 

あれから74年経った日本は、記録的な猛暑にあえいでいます。

 

あれこれと迷った末に、新藤兼人(しんどうかねと)監督の「原爆の子」を見ることにしました。

 

最初にこの映画「原爆の子」に関するデータをご紹介。

 

「原爆の子」(げんばくのこ)は、1952年(昭和27年)8月6日公開の日本映画。監督は新藤兼人、主演は乙羽信子

 

原作は、長田新(おさだあらた)が編纂した作文集「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」。戦後初めて原爆を真正面から取り上げた映画

 

実は、その2年前の1950年(昭和25年)9月23日に、映画「長崎の鐘」(ながさきのかね)が公開されている。

 

監督は大庭秀雄。脚本は、新藤兼人、光畑硯郎、橋田壽賀子が担当。戦後、日本人によって原爆を題材にした劇映画第1号。

 

GHQによる検閲の為、原爆及び被爆状況などについて正面から取り上げることが出来ず、永井隆博士の伝記映画という形で製作。

 

「原爆の子」は1953年(昭和28年)、カンヌ国際映画祭に出品。後に公開された外交文書あるいは外務省文書において、当時の日本政府はこれを好ましく思っていなかったこと、アメリカの圧力により外務省が受賞妨害工作を試みたこと、逆にカンヌでは高い評価を得ていたことなどが判明。

 

1954年(昭和29年)には第8回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭で平和賞、1956年(昭和31年)には第10回英国アカデミー賞で国連平和賞やポーランドジャーナリスト協会名誉賞など多くの賞を受賞し、世界において反核映画の第1号となる。

 

現在もこの映画はヨーロッパで度々上映されている。アメリカでは1995年(平成7年)にカリフォルニア州の大学の博物館で上映、2011年(平成23年)にはニューヨークブルックリン区で上映

 

また、監督の新藤兼人のデータも。

 

新藤 兼人(しんどう かねと)は、1912年(明治45年)4月22日、広島県佐伯郡石内村(現・広島市佐伯区五日市町石内)生まれ。日本の映画監督、脚本家。 2012年(平成24年)5月29日に死去。享年101歳

 

では、「原爆の子」を見た私の感想を、以下で記しておきます。

この「原爆の子」は、以前に一度鑑賞したのですが、強い感銘を受けたことだけは記憶しているのに、なぜか具体的なシーンが想い出せないのです。

 

以前、この「原爆の子」を見た時に書いた感想文を、引用しておきます。

 

現在、新藤兼人監督の映画を連続的に鑑賞しています。

 

なぜ今、新藤兼人なのか?

 

まあ、それほど難しい理由はありません。

 

ただ、もう、ハリウッド映画とか、エンターテイメントの仕掛けがありすぎる映画に飽きてしまったので、そういう「あざとい」戦略のない作品を純粋に楽しみたい気持ちが強いことは確かです。

 

レンタルでは、返却期限が気になって、じっくり味わえないので、アンソロジーを購入してみました。

 

年代順に編成されているので、1巻から順番にレビューしてゆきたいと思います。

最初はこの作品です。「原爆の子」。

 

この映画に出逢えて良かったと、素直に思いました。

 

抑えた表現には気品があり、時に、神々しいばかりの精神性が、フィルムから立ちあがってくるのを感じました。

 

こういう映画は、滅多にありません。

 

原爆の記憶を風化させてはならない、そういう思いを新たにすると同時に、映画という表現形式の偉大さを知りました。

 

後世に語り継いでゆくべき映画の一つに、この「原爆の子」を加えたいと思います。

 

最初の数分で、画面に吸い寄せられました。戦後の瓦礫(がれき)。廃墟が、何もかもを語っている…。

 

モノクロームの映像が、哀しいほど美しい。美しく見せようという気負いがないところが、良いのでしょうか。

 

陽光が尊いと感じるのと同じように、映像そのものが「ありがたい」と実感できたのです。

 

音楽も、魂にまで吸い込んでゆくほど、効果的に使われております。

 

アンソロジーの最初を飾るにふさわしい、純度の高い秀作と言って間違いありません。

 

確かに、最初に鑑賞した時、感動したはずなのに、なぜか具体的なシーンが想い浮かばないのです。どうしてだろう、と思いつつ、すでに購入してあったDVDをデッキに挿入しました。

 

見終わって、感想を書こうとしたのですが、なかなか書けません。その後、眠りの浅い日が続いていますが、やはり書いておかないと後悔すると思い、キーボードを叩き始めました。

 

日本には名作映画が数多くありますが、この「原爆の子」も間違いなく名作映画の一本に入れなければなりません。しかし、制作された動機が、他の名作映画と大きく異なることは強調すべきでしょう。

 

原子爆弾が広島に投下されたのは、1945年8月6日。映画「原爆の子」が制作されたのが1952年です。つまり、戦争が終結してわずか7年後に制作された映画であることを、忘れてはなりません。

 

抑制された静かな調子でフィルムは回ってゆきます。

 

繰り返しますが、注目すべきは制作された年です。1952年というと、戦争が終わって、まだ7年しか経っていませんから、広島のまちの映像は貴重です。

 

広島のまちには戦争の傷跡が生々しく残っているけれども、山や川は清く美しく、人々も深い傷を負いながらも、たくましく生きている。廃墟から新しい生命が芽吹き始めていることが映像から感じられます。

 

モノクロームの映像は眼に沁みるほど美しい。惨たらしい映像が続いたりはしませんし、怖いシーンは少ないのです。全体としては、清らかな映像に仕上がっています。

 

しかし、監督は美しい映像を撮るために制作しているのではなく、このテーマを描くには、こうした昇華された映像空間を創出するしかなかったのではないでしょうか。

 

5回どおり鑑賞すれば、5回とも、違った角度から感想を語ることができる映画です。その多面性こそ、この映画の名作たる所以だと私には思えてなりません。いろんなことを、いろんな角度から考えさせてくれる貴重なフィルムだと言えます。

 

全編で鳴りつづける静けさが、この映画の深さを象徴しているのでしょうか。そして、鑑賞後も、深い静寂が訪れます。荘厳な合唱にも似た静謐。

 

見終わった後に、言葉を発することができるまでに、かなりの時間を要する、稀有な作品です。