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アポリネールの「ミラボー橋」という詩を、堀口大学訳でご紹介します。
 

ミラボー橋

 

ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ

われらの恋が流れる

わたしは思い出す

悩みのあとには楽しみが来ると

 

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

 

手に手をつなぎ顔と顔を向け合おう

かうしていると

二人の腕の橋の下を

疲れたまなざしの無窮の時が流れる

 

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

 

流れる水のように恋もまた死んでいく

恋もまた死んでゆく

命(いのち)ばかりが長く
希望ばかりが大きい

 

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

 

日が去り、月がゆき

過ぎた時も

昔の恋も 二度とまた帰って来ない

ミラボ―橋の下をセーヌ河が流れる

 

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

 

佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を読んだ後なので、余計にこの「ミラボー橋」にある「文学の香気がうれしい。

 

この詩のテーマも「人生の悲哀」だが、そこには精神の気高さがあるので、その悲しみのメロディーに酔いしれることもできる。

 

特に、以下のリフレインが素晴らしい。

 

日も暮れよ、鐘も鳴れ

月日は流れ、わたしは残る

 

この二行だけでも、名作と賞賛される価値があると思う。

 

時代を超えて流れる愛と時間――ギヨーム・アポリネール「ミラボー橋」を読む

 

 

【基本データ】

 

  • 作品名: ミラボー橋(原題:Le Pont Mirabeau)
  • 作者: ギヨーム・アポリネール
  • 発表年: 1912年(翌1913年刊行の詩集『アルコール』に収録)
  • 背景: 画家マリー・ローランサンとの失恋を背景に書かれたとされています。日本では堀口大學による名訳「日も暮れよ、鐘も鳴れ/月日は流れ、わたしは残る」によって、広く知れ渡ることとなりました。

 

【詩人のプロフィール】

 

ギヨーム・アポリネール(1880年 - 1918年)は、20世紀初頭のフランスを代表する詩人であり、美術評論家です。

 

イタリアでポーランド系の母のもとに生まれ、後にパリへ移住しました。

 

パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックなどの画家たちと親交を結んでキュビスム(立体派)を擁護したほか、「シュルレアリスム(超現実主義)」という言葉の生みの親としても歴史に名を刻んでいます。

 

前衛芸術の旗手として新しい表現を模索する一方で、その詩作はフランスの伝統的な叙情詩の系譜を色濃く受け継いでいました。

 

第一次世界大戦に従軍して頭部に重傷を負い、終戦の直前にスペイン風邪に罹患し、38歳の若さでこの世を去りました。

 

【作品の鑑賞と注目点】

 

「ミラボー橋」の最大の魅力は、セーヌ川の淀みない流れと、過ぎ去っていく愛や時間を重ね合わせる、その卓越した構成と音楽性にあります。

 

橋の下を流れる水は、かつて存在した情熱的な愛の象徴であり、同時に二度と戻らない時間の暗喩でもあります。

 

注目すべきは、各連の間に挟まれるリフレイン(折り返し)の存在です。

 

日が暮れ、鐘が鳴り、月日が無情に流れていく中で、「わたしは残る(je demeure)」と繰り返される言葉には、すべてが移ろいゆく世界において、橋のようにただ一人立ち尽くす人間の孤独と哀愁が刻み込まれています。

 

また、詩集『アルコール』においてアポリネールは句読点を一切排除するという実験的な試みを行っています。

 

これにより、言葉が区切られることなく繋がり、詩行そのものが川の流れのような滑らかさと、多義的な広がりを持つようになっています。

 

【なぜ長く愛され続けているのか】

 

この詩が100年以上もの間、世界中で愛読され続けている理由は、個人的な失恋の痛みを、誰もが共感できる普遍的な「時の流れ」というテーマへと昇華させている点にあります。

 

具体的な「ミラボー橋」というパリの風景を描きながらも、そこで歌われている喪失感や、それでも生きていかざるを得ない人間の姿は、時代や国境を越えて人々の心を打ちます。

 

さらに、そのリズミカルで美しい響きはレオ・フェレなど多くの音楽家たちにインスピレーションを与え、シャンソンとして歌い継がれることで、活字を超えた生命力を獲得してきました。

 

【現代を生きる私たちが受け取るべきメッセージ】

 

現代は、効率やスピードが過剰に重視され、目に見える物質的な豊かさや、画面上を流れる表面的な情報ばかりが追い求められる時代です。

 

多くの人が、目に見えないものの価値や、言葉が本来持っている深く根源的な力を忘れかけ、眼前の事象にしか興味を持てなくなっていると言えるでしょう。

 

アポリネールの「ミラボー橋」は、まさにその「目に見えないもの」――流れては消えてしまう時間、失われた愛情の記憶、そして心の底に澱む哀しみ――を、言葉という器に掬い取った芸術です。

 

彼は視覚的な前衛手法(カリグラムなど)を追求した詩人でもありましたが、人間の心の奥底にある感情を表現するためには、言葉が持つ響きやリズム、そして「詩」という祈りにも似た力が必要不可欠であることを熟知していました。

 

目まぐるしく変化し続ける現代社会において、この詩を読むことは、流れ去る日常の岸辺に一度立ち止まることを意味します。

 

「ミラボー橋」の下を流れる永遠のセーヌ川の情景を通して、私たちは、言葉だけが繋ぎ止めることのできる感情の機微に触れます。

 

眼に見えない世界を想像し、そこに美しさや哀しさを見出すこと。

 

それはすなわち、失われつつある「詩の大切さ」と「言葉の力」を取り戻し、私たち自身の人間性を回復させるための、静かで力強い契機となるはずです。