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    立原道造の詩一覧

    立原道造の詩の中から、有名な詩、代表作、教科書に載っている詩などをまとめてみました。のちのおもひにはじめてのものに眠りの誘い夢みたものは・・・・草に寝て……

    2021/12/17

    美しい詩 - 立原道造

  • 立原道造の詩「眠りの誘い」

    立原道造の詩「眠りの誘い」

    立原道造の詩「眠りの誘い」という詩をご紹介します。眠りの誘(いざな)ひおやすみやさしい顔した娘たちおやすみやはらかな黒い髪を編んでおまへらの枕もとに胡桃色(くる ...

    2021/12/11

    美しい詩 - 立原道造

立原道造の詩「草に寝て……」

美しい詩 - 立原道造

立原道造の「草に寝て……」というをご紹介します。

 

草に寝て……

 

六月の或る日曜日に

 

それは 花にへりどられた 高原の

林のなかの草地であつた 小鳥らの

たのしい唄をくりかへす 美しい声が

まどろんだ耳のそばに きこえてゐた

 

私たちは 山のあちらに

青く 光つてゐる空を

淡く ながれてゆく雲を

ながめてゐた 言葉すくなく

 

──しあはせは どこにある?

山のあちらの あの青い空に そして

その下の ちひさな 見知らない村に

 

私たちの 心は あたたかだつた

山は 優しく 陽にてらされてゐた

希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた

 

立原道造の詩には珍しく、現実の気配、匂いのする作品だ。

 

それでも、基調は立原セレナーデと呼びたい、夢心地に誘う音楽からは逸脱してはいない。

 

立原道造が好んで使うワードが、ここに集結している。

 

日曜日、花、高原、林、小鳥、唄、山、空、雲、言葉、しあわせ、村、心、陽、希望、夢、友……

 

立原ワード、そのものが「詩」であることに気づく。

 

立原道造のその他の詩はこちらに

 

 

立原道造の詩「夢みたものは・・・・」

美しい詩 - 立原道造

立原道造の「夢みたものは……」というをご紹介します。

 

夢みたものは・・・・

 

夢みたものは ひとつの幸福

ねがったものは ひとつの愛

山なみのあちらにも しずかな村がある

明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが

着かざって 唄をうたっている

大きなまるい輪をかいて

田舎の娘らが 踊をおどっている

 

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の 小鳥

低い枝で うたっている

 

夢みたものは ひとつの愛

ねがったものは ひとつの幸福

それらはすべてここに ある と

 

立原道造は、この詩「夢見たものは・・・・」で、自分自身がねがう理想の世界を、描き出した。

 

それは桃源郷か、一つのメルヘンか、いや、そこは「天国」と呼ぶべきだろうか。

 

立原にとって満ち足りた世界、そこになくてはならいないのは、静かな村、明るい休日、輪になって踊っている天使たち、青い空と青い小鳥……、そしてそこには、幸福と愛、夢と願い、それらのすべてがある。

 

立原道造は、現実、つまり、この地上界に生息しながらも、自由に天国に行けて、そこから地上界を眺め、夢のような、幻のような、この世とは思えない美しい世界を生み出した人だと思いたくなる。

 

「夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に」と立原道造は「のちのおもひに」で歌ったが、それは天上に棲む人が抱く、地上への郷愁なのかもしれない。

立原道造の詩「眠りの誘い」

美しい詩 - 立原道造

立原道造の詩「眠りの誘い」というをご紹介します。

 

眠りの誘(いざな)ひ

 

おやすみ やさしい顔した娘たち

おやすみ やはらかな黒い髪を編んで

おまへらの枕もとに胡桃色(くるみいろ)にともされた燭台のまはりには

快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)

 

私はいつまでもうたつてゐてあげよう

私はくらい窓の外に さうして窓のうちに

それから 眠りのうちに おまへらの夢のおくに

それから くりかへしくりかへして うたつてゐてあげよう

 

ともし火のやうに

風のやうに 星のやうに

私の声はひとふしにあちらこちらと……

 

するとおまへらは 林檎の白い花が咲き

ちひさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを

短い間に 眠りながら 見たりするであらう

 

立原道造の詩は、意味を詮索しない方が良い

 

立原道造の詩は、一つひとつの言葉の意味を理解しようとすると、わからなくなってしまいかねない。

 

言葉のリズム、音韻、言葉と言葉が組み合わさって浮かぶイメージに、身を任せる気持ちで読むと、立原道造の詩は、優しく私たちを向かい入れてくれる。

 

立原はどういうことを言いたいのか、ではなく、私たちが読んで感じることが立原の伝いたいことなのだ。

 

立原道造が住んでいたのは、現実の世界ではなく「天国」

 

立原道造は二十代の半ばで夭折したことは広く知られている。その若い青年が「娘」と書くことは何を意味するか?

 

特定の個人を指すのならば「娘」とは書きはしない。立原道造は突き放した視点から、若い女の子を見ている。

 

いや、人生そのものを「遠い風景」のように見ているとも言えるだろう。

 

なぜ、人生が風景に見えるのか、それは「生」を「死」から眺めているから。

 

立原道造にとって「死」は暗く冷たい場所ではなく、甘い香りがする明るい世界、いわば「天国」のようなところなのだ。

 

立原道造の詩の稀有な美しさは、描かれた甘美な世界が「天国」に似た澄明な光に満ちているところから来ている。

 

まだ「天国」に行ったことがないのでよくわからないが、おそらくは「天国」は立原道造の詩のような国なのだろう。

 

「天国」という「神に近い国」から、立原道造はこの世を眺めていた。だからこそ、この世のものとは思えない、人間の生臭さの消えた詩空間を現出できた。そう考えるしか、立原道造の美学の本質を明かすことはできない。