八木重吉の「素朴な琴」という詩をご紹介します。
私が最も敬愛している詩人の一人に、八木重吉がいます。
八木重吉の詩の中から、一篇だけを選べと言われたら、おそらくは10人のうち8~9人までが選ぶのではないか、そう思いたくなるほど美しさがあるのです。
その詩が「素朴な琴」。
さっそく、全文を引用してみましょう。
素朴な琴
この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐へかね
琴はしづかに鳴りいだすだろう
これが全文です。たったの4行だけ。
いかがでしょうか?
八木重吉詩集を読むとわかるのですが、短い詩がたいへん多い。始まったと思ったら、呆気ないほど簡単に終わってしまう詩が珍しくありません。
高村光太郎は八木重吉の詩について「一切の中間的念慮を払いのけることができた」と述べています。
つまり、余計なことをグダグタ書かないのが、八木重吉の魅力の一つでもあるのですね。
八木重吉の詩を読めば読むほど、八木重吉という詩人は、一生をかけて、余計なものを「払いのける」ことに専念したのではないか、と思うことでしょう。
八木重吉はこの世の夾雑物をすべて「払いのける」ことで、人生の中で最も大切なもの、美しいもの、愛すべきものをとらえたかったのだと思います。
あるいは、神羅万象の本質、まん真ん中の核心しか興味がなかったので、詩が短くなったとも言えるでしょう。
本質だけをとらえて、それだけを限界まで単純に表現する……この祈りに似た聖なる行為こそ、八木重吉の唯一の詩学なのです。
そして、その詩学の最も美しい結晶が「素朴な琴」なのだと私は信じています。
八木重吉の詩については以下の記事でも語っていますので、よろしければご覧ください。