今回は八木重吉の「母をおもう」という詩をご紹介します。
八木重吉の詩は、自分で「八木重吉論」を書いたほど、何度も何度も読みました。
実は、八木重吉の詩の魅力を教えてくれたのは、私の親友です。彼は国立大学を卒業して、大手企業に就職した男で、文学とかにはほとんど縁のない、オートバイが好きなスポーツマンでした。
そういう体育会系の彼が、ふとしたことから、八木重吉の詩での話になり、「『母をつれて てくてくあるきたくなった』っていうことろが、いいんだよなあ、特に「てくてく」っていう表現が最高だよね」と言ったのを、今でも鮮明に憶えています。
その詩は「母をおもう」という詩で、極めて短い作品です。全文を引用してみましょう。
母をおもう
けしきが
あかるくなってきた
母をつれて
てくてくあるきたくなった
母はきっと
重吉よ重吉よといくどでもはなしかけるだろう
う~ん、本当に素晴らしい詩ですね。3つの文で構成されていますが、そのすべてにおいて、言葉が生き生きと光り輝いていますね。
「けしきが あかるくなってきた」と、具体的な描写がされていないので、イメージが純粋に広がってゆき、瞬時に、薄紅(私はこの色を想像しました)の世界に浸ることができます。
「母をつれて てくてくあるきたくなった」は、表現は極めてシンプルなのに、独創性を獲得している、稀有な表現ですね。特に「てくてく」という言葉は、八木重吉節と呼ぶべき独特の言い回しだと言えます。
擬態語や擬声語を、八木重吉は実に巧みに、というか、ある時は無造作に使うのですが、それが詩としての魅力を豊かにしているのです。
擬声語と擬態語をうまく使っている八木重吉の詩は以前、ご紹介しました。その詩は「鞠とぶりきの独楽」と言います。「鞠とぶりきの独楽」でも「てくてく」という表現は使われていますよ。
親友に教えられてた「母をおもう」を読みたくて、八木重吉詩集を買い、それがきっかけで、八木重吉の世界に没入していったのです。
TOTEMOKANNDOUSIMAITA
YOMETEYOKTTADESU