川端康成の「美しい日本の私」を現在、読んでいます。10ページ読み進むのに、数時間を要するという難行です。
かといって辛いわけではなく、むしろ、苦痛に似た快感を覚えています。
若い時に何度かトライして挫折した記憶がある、この「美しい日本の私」。ところが、今回は、一つひとつの言葉が心に沁み入ってくるのです。
川端康成が「美しい日本の私」で書いている言葉は、まるで刃物ですね。
鋭利な剃刀を、命に貼られた薄い皮膚にピタリの貼り付けられているような凄みが、この「美しい日本の私」からは感じられます。
おそらくは、川端康成自身、命がけで、自分の全存在を賭して、この「美しい日本の私」を書いたのでしょうね。
当時、自身にはそのような明確な覚悟はなかったでしょうけれど、結果として、この文章は、川端康成の遺書であるかのごとき趣きが伝わってくるのであります。
ご存知の通り、「美しい日本の私」は、1968年(昭和43年)12月10日、日本人として初のノーベル文学賞を授与された川端(当時69歳)が、12月12日にストックホルムのスウェーデン・アカデミーで行われた授賞記念講演のために書かれた文章です。
当然のことながら、川端康成の芸術論を語る者であり、それは同時に日本人の精神と美意識を世界に向かって紹介する貴重な文章となりました。
しかし、川端康成の書いた「美しい日本の私」は、そういう文化的、芸術的な文章の域にとどまるほど、生やさしいものではありません。
これは、美に憑かれ、美に病んだ、独りの日本人が試みた、命がけの告白だと、私は受け止めました。
それだからこそ、この「美しい日本の私」は、私にとって重いのであり、鋭すぎるのであり、宝玉のごとく光り輝くのであります。
1968年に書かれた文章ですが、時代を経るごとに価値が増すでしょう。鬼気迫る、作家の執念があふれており、今読むと現代社会への激しい逆襲とさえ感じます。
しばらくは、この「美しい日本の私」だけを、読み込み続けるつもりです。詳しい感想は、また機会を改めて書くことにします。