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かなり前ですが「愛語(あいご)」という言葉を、このブログで取り上げました。しかし、全くというほど、アクセスはなかったのです。
たぶん、この「愛語」は、日常生活ではほとんど使わないからでしょうね。でも、良い言葉ですよ⇒愛語についてはこちらで書きました。
実は「愛語」は「和顔愛語」というふうに熟語で使われることが多いのですね。
で、今回は「和顔愛語(わげんあいご・わがんあいご)」という四字熟語を、ご紹介することにしました。
この「和顔愛語」は、今読んでいる川端康成の「美しい日本の私」の中に出てくるのです。良寛に関する叙述が素晴らしいのですが、絶妙なタイミングで「和顔愛語」が使われていて、ドキッとしました。
前から「和顔愛語」という言葉は知っておりましたが、川端康成が良寛を語る時に使ったことが印象深く、この言葉について考えているうちに、非常に良い日本語だということに気づいたのです。
和顔愛語は「大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)」にある言葉。つまり、仏教用語です。
「和顔愛語(わげんあいご)」について「実用日本語表現辞典」は以下のように説明しています。
仏教用語で、温和な顔つきと、穏やかで思いやりのある話し振りを指す語。
「世界宗教用語大事典」は「和顔愛語(わげんあいご)」について以下のように解説。
仏教で教える語。やわらかな顔つきとやさしい言語(『無量寿経』)。
「goo辞書」は「和顔愛語」を「わげんあいご」ではなく、「わがんあいご」と読み、次のように説明しています。
和やかで温和な顔つきや言葉つき。穏やかで、親しみやすい振る舞いのこと。▽「和顔」はやさしげな顔つきのこと。「愛語」は親愛の気持ちがこもった言葉の意。
要するに「和顔愛語(わげんあいご・わがんあいご)」は、やわらかな笑顔など、和やかな表情で、優しく温かな言葉を、思いやりがさりげなくにじむように語ることを指すのです。
仏教用語は、これまでにもご紹介したことがあります。それは「和顔施(わげんせ)」です。
吉川英治は笑顔がきれいな稀有な作家なのですが、その秘密は「和顔施」という生き方を、吉川英治が貫いていたからではないでしょうか。
それについてはこちらの記事へ⇒吉川英治の笑顔の秘密は「和顔(わげん)」という美しい日本語にあったのかもしれない。
明治の頃。私の、おばあちゃん。と呼ばれる世代は和顔愛語が、出来ていた事を思い出します。
私の祖母は、早くに亡くなりました。近所の、おばあちゃんが、よく私の相手をしてくれました。
信心深く、火渡りの業とか厄除け祈願。と呼ばれる事で、お寺に連れて行かれました。
修験者さんが、ほら貝を吹いたりしているので、本格的だと思います。
その時期、私は恐怖でした。火の上を、歩く事は焼け死ぬ事。死ぬから、嫌だと言って騒いだ事が有ります。然し、実行されました。
無財のななせ。その後は、穏やかな表情で受入れてくれました。
またワンゲルで、たまたま道に迷い実家のおばあちゃんの家にやっと辿り着くと、無言で笑って手作りの、柏餅を提供してくれました。友人は、おばあちゃんと、柏餅に大歓迎で、また行きたい。おばあちゃんに、会いたい。柏餅を、食べたい。
私は甘いものがダメで、おばあちゃんに会えればいいと思っていただけです。
和顔愛語。こんなにも、若い人を引きつけるのは、風花さんが、思い出させてくれて、再認識をしました。
風花さん、どうも有り難うございます。感謝します。