このページでは持っておいてほしい、読んで語り継いでほしい日本の詩集をご紹介します。

 

題して「おすすめの詩集ベスト10」

 

いぜん、日本の詩集を5冊だけ選びましたが、その時の詩集とは重複しないように配慮しました。

 

以前ご紹介した5冊の詩集は以下のリンクからご覧いただけます。

 

⇒日本の名作詩集ベスト5~希望ある未来を生きるために

 

では、さっそく「おすすめの詩集ベスト10」を、始めましょう。

 

まど・みちお詩集

 

 

まど・みちおの人気は地味ではありますが、年々高まっているように感じます。人気があるので、詩集も何冊か出版されており、私は文庫本の詩集はすべて購入しました。など・みちおの詩集は絶版になってほしくありませんね。

 

金子みすゞ詩集

 

 

ひょっとすると、今もっとも人気があるのが、金子みすゞかもしれません。平易な表現の中に深い真理が隠されており、また温かい愛情にあふれています。本質をつく鋭さと純粋な愛が、金子みすゞの魅力です。

 

高村光太郎詩集

 

 

高村光太郎の詩集は複数冊持っておいてほしいですね。最低でも2冊、愛妻への愛をテーマにした「智恵子抄」と、その他の詩もあわせて収録している、いわゆる総合版の「高村光太郎詩集」の2冊です。何しろ、長く生きた人であり、作品数は多い。でも、駄作が少ないのも高村光太郎の特長だと言えるでしょう。

 

坂村真民詩集

 

 

「仏教」と「農業」と「家族愛」の詩人などと、レッテルを貼るつもりはありません。ただ、「土」の素朴さ、「仏」のような慈愛、人間すべてを家族のように慈しむ「愛」が、坂村真民の詩には脈打っていることは確かです。

 

中原中也詩集

 

 

日本の近代詩人の中で、圧倒的に多くの読者を集めてきたのが、中原中也です。しかし、最近は、金子みすゞ、まど・みちお、八木重吉の方に読者が流れている気もします。時代のキャパシティーが小さくなり、異端児である中原中也を受けいれにくくなっているのかもしれません。この生きにくい時代において、もう一度、中原中也の評価をやりなおす(異なる視点から再評価する)必要があると私は感じています。

 

三好達治の詩集

 

 

三好達治には、他の詩人のような華やかさはありません。スター性が薄いと言うべきでしょうか。しかし、三好達治の詩の完成度は、日本近代詩、いえ日本文学の確かな成果です。もっと多くの人に読まれてほしい。多くの日本人が、日常生活で三好達治の詩の話をするようになれば、もう日本を文化不毛の国と呼ばなくなるでしょう。

 

八木重吉詩集

 

 

私が最も愛した詩人の一人が、八木重吉です。「純粋」という言葉を安易に使いたくありませんが、やはり、八木重吉ほど「純粋」な詩人はいないと私は今もなお信じています。詩人独特の孤独な魂を持った人ですが、良妻に恵まれ、家族愛に包まれて暮らしたことが、八木重吉の詩に「不思議な安息」を与え、その安息によって読者は癒されているのだと思います。

 

吉野弘詩集

 

 

本来ならば、詩と呼べない散文のような形態をとりつつ、その独特の語りは、やはり詩以外の何ものでもない、そう思わせてくれる、貴重な現代詩人、それが吉野弘です。吉野弘の詩が多くの人を感動させるのは、彼が愛したのは、詩ではなく、人間であったことに起因するのでしょう。吉野弘は人間愛の詩人です。

 

立原道造詩集

 

 

ソネット形式が日本語に適しているかどうか、はなはだ疑わしいのですが、立原道造は、とてつもなく美しいソネット形式の詩を生み出してくれました。立原にとって、詩は精緻な建築物だったのですが、その詩は、意図的かつ計算し尽くされて作られたということを、微塵も感じさせないほど、滑らかな音律のように心に沁みるのです。

 

石川啄木詩集

 

 

石川啄木の短歌は、短歌というジャンルではくくれません。三行詩と呼ぶべきか? 啄木の出現で短歌は変わりました。そして、啄木以降、さまざまな新しさを求めた歌人が登場しましたが、それは技巧的な新しさというか、表面的な小手先の新しさのように感じられてなりません。啄木は、自分の感性に素直に歌ったら(体ごと短歌に衝突、あるいは没入して)、全く新しい短歌をテクニックではなく、無防備な突撃によって生み出されていたのです。