伊東静雄の「自然に、充分自然に」という詩をご紹介。
伊東静雄の詩「自然に、充分自然に」は教科書に載っていたので、忘れずに記憶しています。
思うに、教科書に載っていた詩はすべて憶えていて、自分の人生に微妙な影響を与えているように思えてなりません。
さっそく伊東静雄の「自然に、充分自然に」の全文を引用してみましょう。
自然に、充分自然に
草むらに子供はもがく小鳥を見つけた。
子供はのがしはしなかつた。
けれど何か瀕死に傷きずついた小鳥の方でも
はげしくその手に噛みついた。
子供はハツトその愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙につよく空(くう)を蹴り
翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。
自然に? 左様 充分自然に!
――やがて子供は見たのであつた、
礫(こいし)のやうにそれが地上に落ちるのを。
そこに小鳥はらくらくと仰けにね転んだ。
昭和十一年『コギト』一月号に掲載され、後に『夏花』に収められました。
この詩を「伊東静雄」は30歳の時に書いたそうです。私は伊東静雄の生涯について学んでおりませんが、詩人としてピークの時に生み出した詩ではないかと思えるほど、「自然に、充分自然に」は高い完成度を示していますね。
今回読み返してみて、想像以上に短いことに少し驚きました。そして、これほどまでに映像的な詩はないのではないか、そう思ってしまうほど、鮮明に生々しいまでに映像が浮かんでくる作品です。
短い言葉の連なりの中に凝縮されているのは、苛烈なまでの生の真実だと感じ入りました。
少年と小鳥、その相反する行動……これこそが、人生そのものではないでしょうか。
この作品の持つ緊張感、清冽さ、厳しさ、過酷さは、純潔な魂の結晶であり、生きることの核心を照射しているように感じられてなりません。
自らの運命を全うしようとする生命体の惨たらしいまでの純粋さが、ここに描き出されています。
昔の教科書は侮れません。現在、古い詩の入門書を読み返しているのですが、昔の文学者は実に文学を深く学んでいたし、純粋に文学を愛していていたことが、読めば読むほどこちらに伝わってきます。
以下、現在読んでいる詩の入門書をあげておきましょう。
中野好夫「文学の常識」、吉田精一「文学入門」、山本健吉「こころのうた」、伊藤信吉「現代詩の鑑賞上下」。