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「本当の優しさって、何だろう」と、1年のうち、何度か自問自答します。
そうした時に、必ず想い浮かぶ人物がいます。
それは、デッドマール・クラマーさんです。
デットマール・クラマーは「日本サッカーの父」
彼は東京オリンピックに出場する、日本のサッカー代表を強くするために、ドイツから招かれたコーチです。
彼のおかげで、サッカー日本代表は、急激に強くなり、東京五輪でベスト8入りをはたし、次のオリンピック、メキシコ大会では見事、銅メダルに輝きます。
日本に本格的なサッカーを最初に植え付けたことから「日本サッカーの父」と呼ばれています。
60年の日本代表欧州遠征でデュッセルドルフのスポーツ学校で談笑するクラマー氏(左)と川淵氏
クラマーさんは、名言をたくさん残した人でもあります。
「おのれの役割をまっとうした人間ほど美しいものはない」
この言葉は、メキシコで3位決定戦を終えた日本チームをクラマーさんが見て、発した言葉だったと思います。選手全員が全力を出し尽くし、疲れ果て、倒れ込んでいたそうです。
サッカーに密着して解説するなら、「選手1人ひとりが各ポジションという役割を全力で果たした姿は美しい」ということになります。
しかし、現在では、しばしば、自分の好きなことに打ち込んでいる人たちを、賞賛する時の言葉として使われているんですね。
かなり前のことですが、正月の高校サッカーの放送中に、このクラマーさんの言葉は紹介されたのですが、なんて素晴らしい言葉なんだろうと感じ入りました。
現実はどうでしょう。
ほとんどの人が、自分の役割さえ見つけられないで悩んでいます。
役割とは「運命」という言葉に置き換えても良いでしょう。
自分の天職を見つけられた人は幸運としかいいようがありません。
急に自分の宿命のような職が見つかることは稀です。
だから、まずは、何か、今、熱中できるものを見つけ、没頭することから私も始めようと思っています。
東京でサッカーライターの修行をしている時、1人のサッカーマニアの方が、古い雑誌からコピーをわざわざとってくれて、クラマーさんの名言集をつくってくれ、それを贈ってくれました。
そのファイルは、今でも、私の宝物です。
そのクラマーさんが、90歳でお亡くなりになりました。
クラマーさんから学ぶ「本当の優しさ」
クラマーさんというコーチは怖ろしく厳しい人でした。あの世界的なストライカーである釜本選手も震え上がったほどの鬼コーチです。
練習試合でふがいないプレーしかできなかった選手たちに「君たちに大和魂はあるのか」と叱咤という話は有名です。
しかし、一方で、こんなエピソードがあります。
深夜、選手たちが寝静まった頃、クラマーさんは部屋に入ってきて、選手1人ひとりの毛布をかけなおして行ったそうです。
そんなことまでしてくれるコーチって、いるでしょうか。
もう、おわかりですよね。
クラマーさんの厳しさは、深い愛情に裏打ちされたもの、つまり、本当の優しさだったのです。
ホテルを予約したサッカー協会に断りをいれ、選手と同じ宿舎に寝泊まりし、味噌汁と納豆の朝食を選手とともに食べたという話を知った時、本当に愛情あふれた人なのだなあと感動しました。
素晴らしい、独特の指導をする人に、マリノ・マリーニという偉大な彫刻家がいます。
クラマーさん、逝く!
「日本サッカーの父」と呼ばれ、多くの日本のサッカー人から敬愛されてきた、デットマール・クラマーは、2015年9月17日に亡くなられました。享年90歳でした。
デットマール・クラマーさんは、とてつもなく弱かったサッカーの日本代表チームを、東京五輪でベスト8に導きました。その4年後、メキシコ五輪で日本が銅メダルを獲得したことはあまりにも有名です。
世界的なストライカーである釜本邦茂と快速ウイングの杉山隆一の名コンビ(日本代表の得点パターン)は、デットマール・クラマーさんが生み出したと言われています。
私はサッカー選手ではありませんが、クラマーさんに多大な影響を受けました。
どうしてか?
それは、これほど、発する言葉が魅力に満ちていた人はいなかったからです。極めて優秀なサッカーの指導者ですが、同時に、哲学者であり、思想家であり、人生の父のような大きな人間だったのです。
例えば、以下のようなクラマーさんの言葉があります。
サッカーは思いやりだよ。パスを受ける人の立場になって、受けやすいボールを出すことから始まる。
いかがでしょうか? 人生にも、そのまま当てはまりますよね。
また、こんな名言もありますよ。
ボールコントロールは、次の部屋に入る鍵だ。この鍵さえあれば、サッカーというゲームは、何でもできる。
クラマーさんは、日本代表のコーチに就任した時、選手に基礎を徹底的に教え込んだそうです。基本中の基本である、インサイドキックから指導したというから驚きです。
サッカーでは手が使えませんから、足で自由にボールをコントロールしなければいけません。これには訓練が必要であり、気持ちとしては「ボールを大切にすること」「ボールをていねいに扱うこと」が大事となります。
言葉も同じですね。言葉を大切にし、ていねいに扱うようになると、豊かな表現の世界という次の扉が開かれるのですね。
クラマーさんの言葉が輝いているのは、クラマーさんの人間力が頭抜けていたからだと思います。
クラマーさんは、生涯、サッカーにその愛を捧げました。そして、クラマーさんほど深い人間愛を抱いて生きた人を少ないのではないでしょうか。
私はクラマーさんと逢ったことも、話したこともありません。しかし、クラマーさんの言葉には長く親しんできたので、クラマーさんという人がどんな人なのかはわかります。
あふれんばかりの愛情を惜しみなくサッカーに捧げ尽した、クラマーさんから、私はこれらかも影響を受け続けると確信しているところです。
クラマーさんが愛した言葉
最後に、クラマーさんが、自分の部屋に貼っていたという言葉をご紹介しましょう。松本育夫氏は、ゲーテかシラーの詩の写しではないかと語っておられます。
ものを見るのは目ではなく
心で見ろ
ものを聴くのは耳ではなく
心で聴け
目それ自体は物を見るだけであり
耳それ自体は物音を聞くだけである
この言葉も私は好きで、時々思い出しては、自分を戒めています。
この言葉は「心眼(しんがん)」に通じると思うのですね。「心眼」も実に素晴らしい言葉ですが、多くの日本人はこの尊い言葉を忘れてしまっているのではないでしょうか。
よろしければ、以下の「心眼」に関する記事もお読みくださいm(__)m
また「目は心の窓」という言葉にもつながります。
さらには「涼しげな眼差し」は死語になりつつありますが、大丈夫でしょうか。