「目は心の窓」という諺(ことわざ)は英語にもあります。
The eye is the window of the heart. (目は心の窓)
似た言葉に「目は心の鏡」がありますが、私としては「窓」という言葉が好きなので「目は心の窓」の方を使っています。
さて、今回取り上げる「目は心の窓」という言葉は、実に「怖い」意味を含んでいると思うので、それについてお伝えしましょう。
「目は心の窓」は、目を見ればその人がどのような人間なのかがわかる、目は自分の本性を隠しようもなくあらわしている」という意味の諺(ことわざ)です。
ところで最近、眼(目)がきれいな人が少なった気がします。
「きれい」というか「澄んだ瞳」の人をほとんど見かけないのです。
昔は街を歩いていて、すれ違う人の中にも、「目の美しい人」を見つけることができました。
しかし、最近では、若い人たちも、「暗い目」「神経質な怯えた目」をした人が多いのです。
では、この「きれいな目をした人を見かけなくなった」という現象は、何を意味するのか。
現代人の心は昔に比べて、汚れ、濁ってしまったということなのでしょうか?
心が穢れてしまったというより、情報が多すぎることが主原因だと私は思っています。
スマホの普及で、情報収集が素早くできるようになりました。でも、情報が多いことが、人間の幸福につながるとは限りません。
情報過多の状況は、むしろ人を不幸にするのではないでしょうか。
目が暗く、澄んだ輝きを持たない人は、おそらくは、無意識のうちに「警戒心」を抱いているのだと思います。
他人から害を受けないように、だまされないようにという「警戒心」が「怯え」となり、知らない間に心を閉ざしてしまっている。
窓を閉ざせば、光も風も入ってきません。それでは、目がきれいになるはずもないのです。
暗い目をした人をよく見ると、目が濁っているというよりも、目が光を失っている状態であることがわかります。
「怖れの気持ちさえ持たなければ、人生は素晴らしい」と、あの喜劇王・チャップリンは言いました。
この「怖れ」を乗り除くのが難しいのですね。
「怖れ」を克服するためには、たぶん、他人だけでなく、自分を信じることが大切なのだと思います。
信じられるから希望が生まれ、希望を抱ければ、心の窓は開き、心という部屋は光で満たされるでしょう。
要するに「目が暗い」ということは、お金を持っていないこと以上に、人として致命的ともいえる欠陥であり、恥ずべき事だと言えます。
「目に光がない」という弱点は、人前にさらしていて簡単に見破られる。さらには、その欠点に、自分ではなかなか気づかない。
その意味で「目は心の窓」という言葉は、実に「怖い」意味を含んでいると思うのです。
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さらには「涼しげな眼差し」は死語になりつつありますが、大丈夫でしょうか。