美しい日本語のひとつに「培うつちかう)」があります。しかし、最近、あまり使われなくなってきましたね。

 

効率の良さや時間の短縮ばかりを追い求めていたら、「培う」という言葉から離れるばかりでしょう。

 

「培う」という美しい日本語は、なぜか、一人の画家を私に想い出させます。その画家は、日本画の大家である、東山魁夷です。

 

二十代の頃、東山魁夷のエッセイを読み、東山魁夷が日本画家になる経緯を知った時、深い感動を覚えました。

 

東山魁夷という画家は日展の重鎮であり、東京芸大を出たサラブレッド的な画家というイメージがあったのです。

 

しかし、予想に反し、東山魁夷は画家になる前に、傷つき倒れ、何度も挫折を繰り返した体験を持っていました。

 

少年期は心を患い、八ヶ岳のふもとで療養生活を送っていたそうです。その時に、高原の四季の風景を写生し続け、それが東山魁夷の画家の根っ子を育んだのです。

 

一人の人間が画家として独り立ちするまで、いかに自分の中で「画家になるための因子」を、苦悩と憔悴を繰り返しながら培い続けてきたかを知った時、初めて東山魁夷の風景画にある、あの澄んだ淡い色調、その本当の意味に気づきました。

 

東山魁夷が生み出す、あの透明な色調は、深い哀しみと祈りの結晶に他なりません。そして、その境地に至るまで、気が遠くなるほどの年月がかかっているのです。

 

「培う」という言葉を大辞林は以下のように説明しています。

 

つちか・う 【培う】

( 動ワ五[ハ四] )

〔「土養(か)ふ」の意〕

1)長い時間をかけて,育てる。 「克己心を-・う」 「体力を-・う」

2)草木の根元や種に土をかけて草木を育てる。栽培する。 「人なき日藤に-・ふ法師かな/蕪村句集」

 

「培う」という言葉は、地味ですが、じんわりと深く大事なことを伝えてくれます。

 

「培う」という言葉には重要なポイントが2つあるのです。

 

1)長い時間をかけるからこそ意味がある。

 

「培う」という言葉は、大事なことをかなえるには、長い時間を要する、しかも、心を込め、大切に育てる必要がある、そのことを教えてくれていると感じます。

 

逆に言えば、簡単に、短期間でできてしまったら、意味がないということ。時間がかかるから、意味があり、貴重であり、かなえらえた時に、感動と生かされていることへの感謝の気持ちが生まれるのです。

 

2)植物を育てるのと同じである。

 

「文化」という言葉は英語の「culture」の翻訳語です。「農業」は英語で「agricultural」と言いますよね。

 

「culture」というと知的で観念的なことを想起するかもしれませんが、実は、土をいじって植物を栽培することから派生した言葉なのです。

 

「培う」もまさに、草木を育てることと同時に、心の中で大事なことを育むことを指しています。

 

草木が育つには、陽光、土、水、肥料などが必要なのは言うまでもありません。実は、人の心も同じなのです。

 

そして、花が咲くには、実がなるには、どうしても時間を要する。時を経ないことには、立派な花や実を期待できない。そういう真実も、慌ただしい時間の中で暮らしている私たちは忘れがちではないでしょうか。

 

その意味でも、今後私は「培う」という古めかしい言葉を、積極的に使ってゆきたいと思っています。