谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)の「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」というエッセイを青空文庫版で読みました。
「素晴らしい文章ですね」というような言葉では言い表せない、「絶望」に似た、また「希望」に近い気持ちになったのです。
この複雑怪奇な気持ちについて、今回は書いてみたいと思います。
谷崎潤一郎の随筆「陰翳礼讃」は、雑誌「経済往来」の1933年(昭和8年)12月号と1934年(昭和9年)1月号に連載されました。
もちろん、現在も高く評価されていますし、近代日本文学が生んだ、傑作中の傑作です。
特に、その文章表現の豊かさは比類がなく、日本人が日本語で書いた文章の最高峰である、と讃嘆したくなるほどです。
さて、私はこれから何を書こうとしているのでしょうか。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」は素晴らしいから、皆さんも読みましょう、などという単純なことではありません。
読後に感じたのは、芳醇な文章を読んで豊かな気持ちになれた歓びよりも、むしろ「空しさ」の方が強く、精神的にひどく落ち込んでしまったのです。
乱暴な言い方をすれば、以下のようになります。
今さら何を有難がればいいですか。日本人的な良いものはことごとく日本では失われていて、もう取り戻す術さえないほど打ち捨てられています。
和の美しさを懐かしいと感じるのは、いかに和の美や和の精神から日本人が離れているかということの証明でしょう。
私たち日本人は、戦後から加速度的に、日本的なるものを、惜しげもなく、実にお手軽に手放し続けてきました。
今さら、いけしゃあしゃあと、日本文化って豊かだね、などとは口が裂けても言いたくありません。
懐かしがるのは得意な癖に、自分自身が捨ててきたことに関する罪の意識がなさ過ぎます。
ですから、安直には、谷崎の「陰翳礼讃」」を賞賛できないのです。
岡倉天心の「茶の本」、新渡戸稲造の「武士道」を読んだ時と同様の空しさを、私は谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」から覚えたました。
文化は日常生活から隔離されていては文化とは言えません。
日本人自身がすでに放棄したもの、大事にもしていないもの、日常生活から追い出してしまったものについて書く場合には、それなりの心の手続きが必要になるでしょう。
例えば、茶道などは、日本に生まれ日本人として長いこと生きてきた私自身、一度も体験したことがありません。
茶室に入ったことないのです。
これからでも、そういう場にでかければ、茶室で抹茶をいただくことはできるでしょう、と言われそうです。
しかし、私は膝を痛めていて、正座できません。激痛に耐えながら、お茶をいただいても、意味がないと思うのです。
私は皮肉を言いたいのではありません。
谷崎潤一郎も、岡倉天心も、新渡戸稲造も、日本人の精神文化のエッセンスを学びなおすには良いでしょう、などというふうに生やさしいことを私は言えません。
大げさに聞こえるかもしれませんが、「和の精神」「日本人の美意識」を取り戻すには、命懸け、くらいの心持ちがなければならないと思うのです。
一生懸命になって、自分を根底から変えてゆく決意がないと、真の意味での「日本人らしさ」は取り戻せないでしょう。
谷崎、岡倉、新渡戸が語った文化をそのままは受け入れられないけれども、和の美意識をとことん愛し、まずは日常生活を少しずつでも変えてゆくことから、今すぐに始めるべきだと思うのです。
「希望」があるとしたら、私自身、「和の美意識」が好きだということ。「言葉」が好きであり、もっと深く言葉と関わることで、自分なりに真の和精神を回復できる気がしていることです。
まずは、今の現実にとことん「絶望」すること、そして未来の「希望」に向かって、行動することが大事だと思います。
日本文化を他人事のように賞賛しても何も始まりません。懐かしむなど、もってのほかです。
和なるものの精髄を捨ててきたことを恥じ、罪悪感を覚え、今から日常生活を変えてゆこうと心に決めました。
自分ができることを、着々と進めてまいります。
谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の内容については、別の機会に詳しく述べる予定です。