久しぶりに日本の詩(私が読んで感銘を受けた詩)について、書いてみることにします。

 

今回取り上げるのは、壷井繁治(つぼいしげじ)の「挨拶」という詩です。

 

では、さっそく引用してみましょう。

 

挨拶

 

手は大きく

ふしくれだっているほどよい

そんな手と握手するとき

うそはいえない

それはまっ正直に働いてきた者の

まっ正直な挨拶だからだ

しっかりやろうぜ、今年も!

僕の手と君の手とは

互いに固く握りしめながら

その言葉をかわす

それはありきたりの言葉かも知れぬが

嘘いつわりのないこころからの挨拶だ

 

いかがでしょうか?

 

あまりにも単純で、ひねっていなくて、難しいことを言おうとしてなくて、唖然としてしまいました。

 

そして、読後、長いこと忘れていた爽快感さえ覚えたのです。

 

それにしても、「挨拶」を詩にした詩人は、壷井繁治より他にいないのではないでしょうか。

 

こういう挨拶なら、してみたいですね。

 

ところが、私たちの日常では、できれば挨拶などしたくない、目と目を合わせることもない、そんな無味乾燥な人間関係が普通。心の交流など滅多にありません。

 

挨拶しただけで、温もりを覚える、血の通った人間関係の中で生活できたら、人はどれほど幸せでしょうか。

 

しかし、その当たり前のようなことが実に困難なのが、人の世の常。

 

だからこそ、壷井繁治の「挨拶」という詩が貴いものに感じるのだと思います。