今回は高浜虚子の俳句をご紹介します。
【動画】(朗読)高浜虚子の俳句「手毬唄かなしきことをうつくしく」
手毬唄かなしきことをうつくしく
チャップリンは「美しさの中には必ず哀しみがある」という言葉を残している。
手毬唄は幼い頃に聴いた記憶がある。私の生まれ育ったまちでは、子供たちは「毬つき」をして遊んでいた。
女の子たちの歌声は、冷たい風のように心に沁みた。確かに、その歌は、悲しく、美しかった。
「手毬唄かなしきことをうつくしく」と俳句として遺してくれた人が、日本人にいてくれて感謝したい気持ちだ。
桐一葉日当たりながら落ちにけり
こういう動きのある情景を描出した俳句を私は愛する。
「日当たりながら落ちにけり」と描写しているけれども、今の慌ただしい(余計なことに気をとられて勝手に忙しくしている)現代人には、とてもこういう視点は持ちえないのではないだろうか。
流れ行く大根の葉の早さかな
同じく、動きのある秀句だ。
昔は川で大根を洗う習慣があった。それほど川の流れが綺麗だったということ。
失われた日本の風景には、美しいものが多すぎる。
消えた風景を俳句としてしか確認できないことは、悲しい、情けない気がするのだが、いかがだろうか。