今回は中原中也の「夏の夜の博覧会は、かなしからずや」というをご紹介します。

 

さっそく、引用してみましょう。

 

夏の夜の博覧会は、かなしからずや

 

 

夏の夜の博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや

 

女房買物をなす間、
象の前に僕と坊やとはゐぬ、
二人蹲(しやが)んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ

 

三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍(しのばず)ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ

 

そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりき、かなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、かなしからずや

それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや

 

広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや

 

 

その日博覧会に入りしばかりの刻(とき)は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、

 

われら三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ

 

飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ

 

夕空は、紺青(こんじやう)の色なりき
燈光は、貝釦(かひボタン)の色なりき

 

その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!

 

中原中也と彼の長男である文也との関係は、知っておいたほうがいいでしょう。

 

文也はわずか二歳で死んでしまいました。死因は小児結核。

 

中也の悲しみような尋常ではなく、精神を病むほどでした。

 

「夏の夜の博覧会は、哀しからずや」という詩は、技法的に単純すぎ、作品としての完成度は高くはありません。

 

しかし、この詩を読むと、中也の幼い我が子を想う気持ちのあまりの激しさに、否応もなく、魂までゆすぶられてしまうのです。