瑠璃」とは、ラピスラズリ(ラピス)という宝石のこと。梵語では「ベイルリ」といい、それに漢字を当てたのが「吠瑠璃」。それが略されて「瑠璃」となったそうです。

 

群青色の顔料は、この瑠璃の粉末から作られていたとか。

 

瑠璃色は深い青色を指すのですが、ラピスという宝石を見たことがないので、どんな色なのかは私にはわかりません。

 

以下は「瑠璃色」という言葉への私的な思い入れとなりまので、どうか、ご容赦ください。

 

ただ「瑠璃色」という言葉から、鮮明に想い浮かぶものがあります。それは真っ青に晴れた空の輝きです。子供の頃、二歳上の兄と並んで観た、深いふかい青色が、私にとっての「瑠璃色」なのです。

 

どうして「青」とか「蒼」とか「藍」とかいう字を当てないかというと、確かな理由があるのです。

 

以下の文章を読んでください。

 

たとえ物の秩序を信じないとしても、僕にとっては、春芽を出したばかりの、粘っこい若葉が尊いのだ。瑠璃色の空が尊いのだ。時々なんのためともわからないで好きになる誰彼の人間が尊いのだ。

 

これはドストエフスキーの長編小説「カラマーゾフの兄弟」の中の一節。アリョーシャとイワンの会話の一部です。岩波文庫の第二巻にで、上の一節は読めます。

 

「瑠璃色」は米川正夫氏の名訳です。これが、他の翻訳者ですと「瑠璃色の空」ではなく「青空」となっていたりします。「青空」では、冷静なイワンが感情を吐露した、その溢れんばかりの激情が読み取れません。「瑠璃色」でなければいけないのです。

 

また「瑠璃色」と表現した方が、文学的な格調があり、何より、言葉として美しいのであります。

 

というわけで「瑠璃」という言葉は、「瑠璃色」を想起させ、その吸い込まれそうなほど透明で深い青空の輝きは、イワンが言ったように、論理を超越した、無限の生命力を感じさせてくれるのです。