超絶ワンテーマ企画とは

 

余命あとわずかとなった風花未来が、最後の力を振り絞ってお贈りするのが、この「超絶ワンテーマ企画」。

 

フルネームは「超絶ワンテーマ企画『このテーマで最終回@時間無制限一本勝負』」という。

 

要するに、1回で1テーマを徹底的に語り切る企画

 

YouTubeで動画配信しておりますので、以下から、ご視聴ください

 

超絶ワンテーマ企画『このテーマで最終回@時間無制限一本勝負』

 

では、第1回目をスタート!

 

予習と復習のススメ

 

以下のリンク先をあらかじめ読んでおくと、動画の内容の理解が速やか、かつ深くなるので、ご一読願いたい。

 

「詩心回帰」「まどか」「風花シン党=風花まどか物語」

 

※「超絶ワンテーマ企画」は邦画ベスト100詩心回帰まどか(円和)」「まどか愛」「風花まどか大学」「雨上がりのムーブ」「風花シン党物語=風花まどか物語」「日本の名作詩ベスト100」「風花未来の詩創作」と並ぶ、風花未来の心の復興運動の一環としてお伝えしている

 

今回の企画のポイント

 

1)現代史を学ぶ

 

2)希望の未来を創造するという一点にのみ、歴史を検証する意義がある

 

3)最も夢ある時代とされる60年代、その正体とは

 

4)事件の検証だけが歴史ではなく、心の歴史(精神史)こそ大事

 

5)心の歴史の検証のために、時代の証言者であるTVドラマを取り上げる

 

6)60年代のドラマが提示した問題を検証し、希望の未来への道筋を示す

 

60年代の検証から、希望の未来への道筋を探る

 

第1回目のテーマは「日本の未来、あるべき社会像とは~時代の証言者であるテレビドラマに見る1960年代と現代を比較し、希望の未来を探る

 

風花未来はずっと「視点移動」の重要性を訴えてきたが、左右・上下だけでなく、過去・現在・未来といった「時空間の視点移動」も極めて大事。

 

「故きを温ねて新しきを知る」という言葉があるが、現在の検証、未来の展望は歴史の考察なしには不可能である。

 

私たちは近現代史をほとんど学んでいない傾向が強い。

 

政治や社会問題を語る時、歴史の学習は必須だが、歴史を出来事の検証だと思っている人が多い。だがしかし、もっと大事なのは、国民の心の歴史、即ち精神史である。

 

歴史を川に例えるなら、精神史は伏流水のようなものだ。生態系の研究において、眼に見える表側の流れよりも、眼に見えない裏側の伏流水は極めて重要だが、歴史の学習において、人々の心の歴史、精神史を知らなければ希望の未来など展望できるはずがない

 

歴史は、希望の未来を創造するため、その一点において検証すべきなのだ。

 

未来の希望を切望するのは誰か? それは国民である。願う主体は、事件ではなく、国民の心である。だから、国民の心の歴史を学ばなければ希望の未来はつかめない。

 

風花未来が「詩」や「映画」をしばしば取り上げるのは、それらが「精神史」の証言者であるからだ。

 

その意味から、今回は1960年代のテレビドラマの名作を取り上げることにした。

 

今回の企画は、そのドラマが放送されていた時代を生きた人々は、何を思い、何を求めていたのかを感じ取り、確かめ、今という時代と比較検証し、希望の未来を展望しようという試みである。

 

そもそも、60年代とは

 

もっとも熱く、夢のある時代として、しばしば語れる60年代だが、はたして本当に、あの時代は良かったのだろうか?

 

先の大戦が終わったのが、1945年。焼け野原となり、何もないところから、日本は奇跡の経済成長をしてゆく。

 

パソコンも、スマホもない、超アナログ社会には、人々の活気があふれていた。

 

経済成長する中、さまざまな社会問題が生まれ、光と影が激しく交錯する時代から、私たちは何を吸い上げ、現在と未来に、どのように生かしてゆけば良いのだろうか。

 

60年代に隆盛した伝説の人間ドラマは、なぜ消えた?

 

1960年代は、テレビドラマの伝説的な名作が生まれた。以下の3作は、いずれも長寿番組となり、多くの国民に視聴された。

 

これは余談だが、特筆に値するのは「事件記者」と「七人の刑事」のテーマ曲だ。極めて印象的で、センスが良く、音楽としてのクオリティも高かった。

 

テレビドラマ「事件記者」

 

『事件記者』(じけんきしゃ)は、NHKが製作し、1958年から1966年まで放映されたテレビドラマである。日活と東京映画によって映画化された。

 

事件記者のテーマ曲

 

テレビドラマ「七人の刑事」

 

警視庁捜査一課の刑事7人の活躍を描く刑事ドラマである。
最初のシリーズは1961年10月4日から1969年4月28日まで放送。

 

七人の刑事のテーマ曲

 

テレビドラマ「三匹の侍」

 

『三匹の侍』(さんびきのさむらい)は、1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけてフジテレビ系列で毎週木曜日20時から20時56分に放映された連続テレビ時代劇。最高視聴率は42パーセントを記録した。全6シリーズ(157話)

 

社会の矛盾や問題と向き合い、自分たちの力の限界を痛感しながらも、外なる敵(悪政や暴力)と内なる敵(自分自身)と闘う人間像を描きだした。

 

60年代から70年代へ、日本は激変してゆく

 

時代の激変、その過程で、社会問題を含めた人間存在の根底までをもえぐる人間ドラマはタブーになって行った。

 

社会問題が解決され、国民が幸せになったために、濃密濃厚なドラマが下火になったのではない。問題は山積されたまま、時代の空気だけが変えられてゆくのである。

 

1970年の主な出来事

 

大阪万国博覧会が開幕
日航機よど号ハイジャック事件が発生
作家三島由紀夫が割腹自殺
国産の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられた
ビートルズが解散を発表した
光化学スモッグが発生した
田子の浦ヘドロ公害が発生した
ウーマンリブ運動が盛り上がった
東京・銀座で歩行者天国が始まった

 

60年代と70年代は、ガラッと違う時代になったという印象は鮮明だ。しかし、近現代史を検証する時、私たちは以下のことを肝に銘じなければならない。

 

60年代から70年代に突入して、時代は大きく変換したが、それは主に時代の空気感が変わったことを意味する。

 

世代交代が進む中、経済成長により国民生活が底上げされ、産業、マスメディア、娯楽などが変わっただけだ。

 

60年代までに積み上げられてきた社会問題の本質(根本問題)は、ほとんど何も解決しないまま、時代の空気感だけが変わってしまった。あるいは、変えられてしまった。

 

人々の生き方、価値観はザックリ言うなら「精一杯、頑張って生きる、自分をムチ打って成長しよう」から「スマートに、さりげなく、面白おかしく楽しもうよ」に切り替わったにすぎない。

 

「誠実、ハングリー、培う、慈しむ、叩き上げる、持ちこたえる」などの言葉が死語に近くなってゆく、庶民の胸中から薄れてゆく。

 

知識人も大衆も、精神性は薄れ、経済は成長しつづけ、経済一辺倒の軽佻浮薄の時代(つまり「ソーダ水」に例えられる、軽くて口当たりがよく、後味がさわやかなものがの好まれる時代)に、染め上げられてゆく。

 

これも余談だが、後に「七人の刑事」の後継のような「特捜最前線」という刑事ドラマも長寿番組となったが、以上3作との比較は別の機会にお贈りしたい。

 

「特捜最前線」のレビュー記事はこちら

 

以下では、今回のメインモチーフである「若者たち」シリーズについてお伝えする。

 

「若者たち」は戦後日本の問題を凝縮した人間ドラマ

 

連続テレビドラマ「若者たち」をご存じだろうか。というか観たことがあるだろうか。

 

連続テレビドラマ「若者たち」フジテレビ

 

大阪府内に住む、5人兄弟(4男1女)が両親を亡くしてからの生活を伝えた、毎日新聞の特集記事(1965年11月29日付朝刊「ある家庭」)をベースに制作されたのが、このドラマ「若者たち」である。

 

テレビドラマ「若者たち」はこちらで視聴可能です

 

映画はパート3まで制作されており、当時、いかに人気が高かったのかがわかる。

 

映画「若者たち」のレビュー記事はこちら

 

映画「若者はゆく」のレビュー記事はこちら

 

YouTubeの「風花未来チャンネル」でも「若者たち」について、3回レビューしています。

 

映画「若者たち」が、現代に熱く語りかけるものとは?

 

映画「若者たち」「若者がゆく」「若者の旗」が、現代に語りかけることは?

 

超絶ワンテーマ企画『このテーマで最終回@時間無制限一本勝負』

 

今回はテレビドラマの「若者たち」を観た感想を書きたい。

 

熱い、本当に熱い。これほど熱いテレビドラマを観たことがない。

 

ドラマとは人と人とがぶつかりあって火花を散らすことだ、と言った人がいるが、この「若者たち」を観ると、まさにその通りだと痛感した。

 

熱いだけではなく、そこには人間への愛が満ち溢れているのだ。

 

ほしい、現代に、この熱さが、溢れる愛情が!

 

というのでは足りない。このドラマには常軌を逸した「聖なる狂気」があるのだ。

 

キャスティングも素晴らしい。

 

両親のいない5人兄弟を演じたのは、以下の俳優である。

 

田中邦衛
橋本功
佐藤オリエ
山本圭
松山省二

 

ものの見事に、それぞれの俳優がそれぞれの際立つキャラクターを演じきっている。全員に主演賞を与えたいほどだ。

 

特に、次男役の橋本功(はしもといさお)が効いていた。

 

このテレビドラマ「若者たち」の主題は家族愛、兄弟愛にほかならない。

 

だが、当時も今も珍しい、色濃い社会性は特筆に値する。

 

貧困問題、住宅問題、資本主義の矛盾、労働問題、中小企業問題、学歴社会の歪み、受験戦争、大学闘争(学園紛争)、漁村・農村の問題、沖縄の問題、在日朝鮮人の問題、子供の犯罪、広島・長崎への原爆投下と被爆問題、反戦・反核運動

 

……その背景として、ベトナム戦争の激化、東大安田講堂事件に象徴される学生運動(日米安全保障条約の自動延長を阻止・廃棄を目指す運動)だけでなく、悲惨な戦争(日中戦争・太平洋戦争)の傷跡が経済成長期の日本においても、重く疼いているのである。

 

以下の「東大安田講堂事件」の記述は、当時の社会情勢を知る上で参考になる。引用元はWikipedia「東大安田講堂事件

 

東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)は、全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が約8500人もの機動隊を導入して1969年(昭和44年)1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦、東大安田講堂占拠事件ともいう。

 

1960年代後半、ベトナム戦争が激化の一途をたどっていた。また、1970年(昭和45年)で期限の切れる日米安全保障条約の自動延長を阻止・廃棄を目指す動きが左派陣営で起きていた。これに伴い学生によるベトナム反戦運動・第二次反安保闘争が活発化した。それと時を同じくして、高度経済成長の中、全国の国公立・私立大学においてはベビーブーム世代が大量に入学する一方で、ときに権威主義的で旧態依然とした大学運営がみられた。これに対して学生側は授業料値上げ反対・学園民主化などを求め、各大学で結成された全共闘や、それに呼応した新左翼の学生が闘争を展開する大学紛争(大学闘争)が起こった。

 

ドラマ「若者たち」は、肉体労働者が多く登場することから、プロレタリア文学に通じる世界観も感じるが、私は映画やドラマをイデオロギー視点では絶対に観ない、価値判断しない主義だ。

 

なので、いわゆる「左翼」という言葉を「若者たち」についても用いることはしない。

 

ともあれ、連続ドラマ・映画「若者たち」シリーズは、1970年で終わる。シリーズ「若者たち」とともに、日本の1960年代は終わったとも言えるだろう。

 

ちなみに、以下、1970年の主な出来事をあげておく。

 

大阪万国博覧会が開幕
日航機よど号ハイジャック事件が発生
作家三島由紀夫が割腹自殺
国産の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられた
ビートルズが解散を発表した
光化学スモッグが発生した
田子の浦ヘドロ公害が発生した
ウーマンリブ運動が盛り上がった
東京・銀座で歩行者天国が始まった

 

60年代から70年代へ、日本は大きく転換してゆくのである。

 

また脚本家の多さにも驚く。以下の脚本家が参加している。34回も続いたのは、豊富な人材がいたからなのだろう。

 

山内久、早坂暁、立原りゅう、清水邦夫、布勢博一、寺田信義、大野靖子、多賀祥介、山田正弘、林秀彦、大西信行、田村孟、菅孝行

 

最近の6年間、私はずっと政治を語ってきたが、政治に関心のある人も、ない人も、このドラマ「若者たち」を観て、今もなお解決していない社会問題に目覚めてほしい、と切に願うばかりである。

 

最後に、私は「若者たち」を、演劇だとか、心理劇だとか言ったが、それよりも何よりも、言葉力を最大限に発揮したドラマとして「若者たち」を、私たちは語り継ぐべきだと主張したい。

 

そう、今ほど、言葉の力が弱っている時代はない。そして「若者たち」ほど、言葉が生き生きと炸裂したドラマはない。

 

「若者たち」は「言葉力のドラマ」である、それを肝に銘じつつ、私は自分の命あるかぎり、このドラマを繰り返し、えぐるように視聴し、私自身の言葉を最大限に発したいと強く思っている。

 

ドラマ「若者たち」の再レビュー。魅力の復習

 

『若者たち』(わかものたち)は、1966年にフジテレビで放送された連続テレビドラマ。

 

エンタメだけれど、エンタメを超えた底知れないパワーがある。

 

まさに60年代のドラマだが、時代を超えた永遠のオーラを持つ。

 

テレビドラマ「若者たち」はこちらで視聴可能です

 

映画「若者たち」はこちらで視聴可能です

 

「若者たち」のレビュー記事

 

「若者たち」シリーズが公開された時代の簡易年表

 

1964年 東京五輪
1966年 連続テレビドラマ「若者たち」34回完結
1968年 映画「若者たち」
1969年 映画「若者はゆく」
東大安田講堂事件
討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争
1970年 映画「若者の旗」
大阪万博

     日航機よど号ハイジャック事件

             作家三島由紀夫が割腹自殺

1972年 あさま山荘事件

 

討論 三島由紀夫vs.東大全共闘―美と共同体と東大闘争」は、以下から視聴可能です

 

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

 

「若者たち」の魅力、その時代背景と私たちへの提言

 

様々な社会問題を社会派ドラマとしてではなく、ホームドラマ(5人兄弟の生活とその実感)として描いた。

 

凄まじい役者力 室内劇 言葉の炸裂

 

人間の原始性 原始的エネルギー 魂と肉体で人間性を表現

 

外なる世界 資本主義社会の矛盾 目指す社会像が見えない
内なる世界 閉塞感 渇いた心 孤独感 世代の断絶

 

「若者たち」シリーズは、以下の社会問題を提示している。

 

「若者たち」シリーズが提示した社会問題

 

貧困問題、住宅問題、資本主義の矛盾、労働問題、中小企業問題、学歴社会の歪み、受験戦争、大学闘争(学園紛争)、漁村・農村の問題、沖縄の問題、在日朝鮮人の問題、子供の犯罪、広島・長崎への原爆投下と被爆問題、反戦・反核運動

 

これらの社会問題の背景として、ベトナム戦争の激化、東大安田講堂事件に象徴される学生運動(日米安全保障条約の自動延長を阻止・廃棄を目指す運動)だけでなく、悲惨な戦争(日中戦争・太平洋戦争)の傷跡が経済成長期の日本においても、重く疼いているのである。

 

アメリカ追従

経済活動一辺倒

拝金主義

過度な競争社会

人間性の軽視

公害問題

 

「若者たち」の登場人物の前に立ちはだかる階級社会という壁

 

ごく一部の人間が国民を洗脳支配する階級構造を、体感的に、また言葉で否定するが、理想的な社会像がハッキリとは見えない

 

矛盾だらけの社会だが、その中で、何とか幸せになろうと、もがき、愛そうとし、懸命に生きる5人兄弟の生きざまが感動を呼んだ

 

では、どういう考え方で、どのような社会を目指せばよいのか

 

これも時代背景の一つだが、選挙の投票率の高さがあげられる。

 

この時代の衆院選の投票率70%以上あり、現在よりも政治への関心は高かった。選挙の投票率が50%台まで落ち込むのは、2012年に民主党が下野した選挙からである。

 

2020年代を生きる私たちが生み出すベストアンサーは?

 

まずは、現状の問題点を洗い出し、希望の未来への出発点と方向性を示したい。

 

現状の問題点の確認と、希望の未来への方向性

 

どこを、どのように目指す? 希望の未来への道筋

 

政治家も、学者も、希望の未来への道筋を、明確には(多くの国民が共感する、わかりやすい表現では)示せていない。

 

資本主義ではなく
社会主義でも、

共産主義でもなく
社会民主主義でもなく
つまり
政治的イデオロギーによる
社会システムの構築ではなく……

 

目指す世界像が見えない中で
テクノロジーが進化し過ぎれば
一部の悪意ある利己主義者よって悪用され
人類に不幸をもたらしかねない

 

IT ICT IoT AI
AGI(汎用人工知能) ASI(人工超知能)

 

人間の幸福へとつながる、人間らしい生き方は担保されるのか

 

ここで、いったん、政治用語から離れることが必要

 

リベラル左派(左翼)、保守系右派(右翼)といった立ち位置で語る者たちの言葉には、もはや説得力はない

 

60年代でも左右の闘いがあったが、左右の分断は、何も解消できていないし、思想の進化も成熟も見えない

 

現代は言葉が衰弱しきっており、逆に60年代は、言葉がほとばしり、炸裂し、躍動していたが、70年代から言葉は薄められはじめ、国民が主体的により良い社会を目指そうという動きは衰微したままである。

 

そこで、風花未来は「言葉の回復、言葉の復権」から、運動をはじめた

 

言葉の力で未来を変える」という呼びかけを、動画投稿で続けた

 

その後「詩心回帰」「まあるい未来」「まどか」「まどか愛」「風花まどか大学」「雨あがりのムーブ(人間復興運動)」「風花シン党=風花まどか物語」まで、さまざまな運動を行ってきたが、常にその軸にあるのは「言葉である

 

言葉が乱れる時、人心が乱れる。言葉が荒廃すれば、社会も荒廃する

 

だから、風花未来は、最後の力を振り絞り、言葉で「希望の未来への道筋」を示そうと「超絶ワンテーマ企画」をはじめた

 

では、次に、風花未来が、具体的に、目指すべき社会像を提言する。

 

愛を原動力とした、自立と調和により、「まどか」なる社会を目指す

 

多くの社会問題は、支配する者と、支配される者と、別れていること、圧倒的に支配される者が多いことに起因する。

 

支配者層からの抑圧・支配からの開放がかなえられなければ、生きることが息苦しい時代は卒業できない

 

支配者は国民を支配しやすくするために、生かさぬよう、殺さぬように、餓死しない程度に、自分たちに都合のよい反抗しない従順なシモベでいさせるために、ほどよい貧困状態、自分のことで精一杯で、他人のこと、社会のことまで考える余裕がない状態にいさせようとする。

 

だから、私たち国民は、ゆとりがなく、いつも忙しく、貧しく、たまに美味しいものを腹いっぱい食べるぐらいが関の山なのだ。

 

それだから、心は常に渇いており、愛すること、愛されることの歓びに満たされるのは、稀である

 

経済や環境の格差は緩和すべきだが、みんなが強制的に同じにさせられる社会であってはならない

 

みんなが同じになることを目指すのではなく

互いの違いを認め、尊重し合いつつ

国民一人ひとりが伸び伸びと生きられる
才能を伸ばしてゆける
そのためには、

国民一人ひとりの自立を前提として
愛によって調和する
対等な立場から協力して
「まどか」なる社会(外なる世界)
「まどか」なる心を(内なる世界)
ふだんの心がけ
努力によって
育んでゆくことが大事

 

「まどか」とは、愛が満ち満ちて心がまるく和むこと

「まどか」とは

 

二つの自立、そして調和へ

 

●日本が米国から自立する

 

あらゆる海外勢力に支配されず
対等・平和外交で
戦争のない世界を目指す
国は国民の支配者であってはならない
誤情報で洗脳し
一部の人間の利益の最大化ではなく
国民一人ひとりを守り
人間性の回復
経済・環境面での復興
心・精神文化面での復興
この両面の復興をかなえる
新たな人間復興を
国が目指さねばならない。

 

●国民が自立する

支配者たちの洗脳を解き
自分の感性で感じ取り
自分の頭で考え
自分の価値軸から取捨選択・意思決定し
自分の意志で行動できる能力を養う
自己教育しかない
自ら学び成長し続ける自立した国民が
互いの違いを認め合い、
個人の才能・特性を伸ばすことを肯定し、
対等の立場から協力・連帯を惜しまない

 

個人や集団の利害を超越した「まどか愛」こそが「人間復興」の原動力

 

国も国民も、愛が基盤、愛が原動力
全人類的な大きな愛が不可欠

現状は、国民のためをうたう、政治家も政党も、コメンテーターも、自分のためにやっている、だから、連帯できない
個人や集団の利害関係を超越した、和の世界を生み出し、包みこみ、維持するのが

「まどか愛」

 

※「まどか愛」とは、宗教などが規定する教理としての愛ではなく、あくまで個人に根差す、個人が発する、自立と調和をともにかなえる、自分も他者も幸せになる、新しい愛の概念。世界平和(永久調和)を希求する全人類的な大きな愛と、一人の人間の心に宿る利害を超えた純粋な愛が、つながり、響き合う愛のこと

 

「まどか愛」とは

 

その「まどか愛」の原初エネルギーは、私たち国民一人ひとりの内部にある。

 

内なる世界と外なる世界の健全なるつながり(健やかなる協奏)が、社会の平和、心の平和の必須要件となる

 

矛盾・相克(不協和音)しながらも調和(協奏)する

 

※ドストエフスキーの「永久調和」、中原中也・金子みすゞ・宮沢賢治などが願った「魂と宇宙の調和」を風花未来は参考に「まどか愛」を発想したが、実は、私たちがふだん何気なく感じ取る「幸せ感覚」にも近いのが「まどか」であり、何かに包まれているようで安心で幸せだと感じる時は、まさに「まどか愛」に包まれているのである。

 

金子みすゞ・中原中也・宮澤賢治の「愛のカタチ」

 

以上、長々と語ってきたのだが

 

愛によって和する

「まどか」なる社会と

「まどか」なる心を

醸成する道筋を示すのが
「風花シン党」の役割だ

 

と認識している。

 

希望の未来を、あなたが掴み取る過程で、今回、風花未来が語ったことが、一ミリでも、お役に立つことがあれば、それにまさる光栄はない、と一人静かに念じつつ、キーボードを叩く指を休めたいと思う。

 

最後まで、ご通読、ありがとう存じました。