山田太一ドラマに「遠まわりの雨」がある。主演は渡辺謙と夏川結衣。この二人の共演というだけで絶対に見たくなる。
私はこの「遠まわりの雨」を見るのは、今回が2回目。
現在、全く金がないが、どうしても見たいので、中古のDVDを買ってしまった。
1980円以上の価値があった。
素晴らしい。山田太一らしさが凝縮された傑作だ。
「遠まわりの雨」の基本データ、スタッフ、キャスト、主題歌など
ドラマ「遠まわりの雨」は、2010年3月27日の21:00-23:18、日本テレビ系列で放映された。
スタッフ
作:山田太一
音楽:村井邦彦
主題歌:スーザン・ボイル「翼をください〜Wings To Fly」
キャスト
福本草平(主人公):渡辺謙
秋川桜(草平の昔の恋人):夏川結衣
秋川起一(桜の夫):岸谷五朗
福本万里(草平の妻):田中美佐子
菊池康(起一の工場の工員):AKIRA(EXILE)
福本雪菜(草平の娘):川島海荷(かわしまうみか)
渡辺謙と夏川結衣の二人芝居とも言っていいくらい、このドラマでは渡辺謙と夏川結衣が、圧倒的な存在感を示している。
特に、夏川結衣の演技は珠玉。演技派として知られる渡辺謙をしのぐ表現力は、何度も味わう価値があるだろう。
岸谷五朗(渡辺謙のかつての恋敵であり、現在は夏川結衣の夫)と田中美佐子(渡辺謙の妻)は、一面的な役回りだが、それをキッチリとこなしていた。
田中美佐子の娘役を演じた、川島海荷が良かった。実に効いていた。こういうセンスの良さも、山田太一ドラマの魅力の一つである。
主題歌について。
あの赤い鳥の名曲「翼をください」を英語でカバーした、スーザン・ボイルの歌唱、ここには、山田太一ドラマ特有の臭さ、ダサさがある。
山田太一は主題歌にもこだわる人だが、そこには確かなセンスが光ってはいるのだが、いつも微妙にズレている。
オシャレ感覚から、時代の流行から、カッコよさから、いつもズレているので、普遍的な音楽の味わいを味わうことができるのだ。
主人公をヒーローにさせない、厳しい現実と試練を突き付ける、山田太一の美学
「遠まわりの雨」がドラマとして成功しているのは、何度も鑑賞しても飽きない深さをアが得ているのは、山田太一の一貫したドラマ美学が息づいているからだ。
主人公を決してヒーローにしない。勝たせない。むしろ、多くの場合、敗者にする。
ドラマを見る大衆は、たいていの人は勝者ではなく、華々しい経歴も持っていない。だから、テレビドラマの主人公には、勝ってほしいし、突き抜けた生き様を見せつけてもらいたい。
しかし、山田太一は、逆を行く。渡辺謙が演じた主人公は、気弱で、臆病で、時に不細工でさえある。決して、格好よくはない。
だが、一方で、厳しい現実と戦っており、ひたむきには生きているのである。
そこに届いた、元恋人の夏川結衣からの連絡。そこから、劇が始まる。どんな劇か?
制約された状況、与えられた運命の中で、精一杯、自分らしく生きようとすること
かつて、自分の恋愛に負けた渡辺謙は、今度も負ける。自分を最も自分らしく輝かせてくれる、職人芸を活かす仕事で完敗してしまう。
しかし、ありきたりなヒーロー以上の感動を「遠まわりの雨」の主人公は、私たちに与えてくれる。
なぜか? 戦いには負けたが、人生そのものの敗者ではないから。
本当の自分になるために主人公は戦って負けた。「人力車で頑張ってきたが、タクシーの時代になったら終わりさ」という主人公の言葉どおり、時代の波に乗れずに、落ちこぼれているのだ。
だが、そういう姿にも、感動はある。共感や同情を超えた、感動があるのだ。
厳しい生き方を、山田太一は主人公に求めるが、実は同時に、私たち視聴者にも、ごまかしのない、ひたむきな生き方を要求しているのである。
だから、山田太一ドラマを見ると、自分が成長していると感じられるのだ。
真面目にテーマを追求するだけでなく、文句なく「面白い」のが、山田太一ドラマ
人生の機微、哀歓が、きめ細やかに描出されており、極めてクオリティーが高い。
でも、何と言っても、ドラマとして「面白い」のである。
人生を深掘りしているが、どこにも説教臭いところがない。
叙情に流されてもおらず、お涙ちょうだいにもなっておらず、どろどろしたメロドラマにもなっていない。
情感豊かで、思わず涙ぐんでしまうし、メロドラマの要素も入っているのだが、決して、大衆向けの娯楽ドラマに出してはいない。
エンタメ的な演出や仕掛けが弱く、むしろテーマは真面目腐っている。
なのに、最後までどうしても一気に見てしまう不思議なパワーが、この「遠まわりの雨」にはあるのだ。
その不思議パワーは、何なのだろうか。
この質の高さはどこからくるのだろうか。
妥協しないこと。渡辺謙、夏川結衣の演技は、一ミリでもズレたら、駄作になってしまうのだが、その一ミリがピタリと合っているので、傑作としての気高さを生み出しているのである。
山田太一は、妥協を許さない。登場人物に妥協しない生き様を要求する。セリフ、演技づけにも妥協がない。
山田太一ドラマが面白いのは、エンタメ装置が散りばめられているからではなく、面白いドラマを作るために、妥協しないで、職人技を駆使しているからなのだ。
山田太一のドラマづくりへのこだわり、執念に似た追求心を「昭和」という言葉で片づけたくなり。片づけてはいけない。
「令和」の時代に生きる私たちにも「新たな妥協しない生き様」はあるはずだから。