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三好達治と金子みすゞの人気が半端ない理由とは?

詩心回帰・まどか - 金子みすゞ - 三好達治

少し前まで、私のこのブログにたくさんのアクセスが来ていました。これは凄い、ようやく、この世知辛い社会でも、詩のブームが訪れたのかと、小躍りしそうなほど歓んだのです。

 

特に、三好達治金子みすゞの詩へのアクセスが半端なかったのです。

 

今年の1月の月間ページビュー(PV)数は、306,094でした。つまり、1日平均1万PV以上あったことになります。

 

ところが、今月になってその勢いは減退し、先月の半分くらいになりそうです。

 

理由は、三好達治と金子みすゞのブームが起きたわけでなく、この二人の詩人がテレビで紹介されたからです。

 

だとすると、ただのメディア効果だと言えるのかもしれません。

 

ですが、メディアに取り上げられたことだけでも大変なもので、現代において、詩への渇望は高まっているのも確かでしょう。

 

一方で、ふっと寂しくなりました。私のメディアである、ブログの力は微々たるもので、テレビの立てた大波が私のところまで打ち寄せてきただけだと思ってしまうから。

 

でも、やめるわけにはゆきません。決して諦めずに、継続は力なり、と自分に言い聞かせ、ブログの更新に努めようと自分を励ましているところです。

 

三好達治の詩はこちらに

 

金子みすゞの詩はこちらに

三好達治の詩「土」

美しい詩 - 三好達治

三好達治の「」というをご紹介します。

 

【動画】(朗読と鑑賞)三好達治の詩「土」

 

 

蟻が

蝶の羽をひいて行く

ああ

ヨットのやうだ

 

ルナールの博物誌を想わせる。蝶についてルナールは「博物誌」で次のように書いている。

 

二つ折りの恋文が、花の番地を捜している

 

蟻が蝶の羽を引いてい行くようを「ヨットのようだ」と表現した……これも下手ではない。

 

しかし、今一つのようにも感じる。

 

ところで、この詩には疑問点がある。

 

それはタイトル。

 

どうして「土」なの?

 

「ヨット」でいいんじゃないですか?

 

この詩を探す時に「土」というタイトルを忘れてしまったら、見つかりにくいかもしれない。

 

思いついた詩のタイトルを検索窓に入れても、この詩は出てきそうにない。

 

それくらい「土」というタイトルは、地味すぎるし、同時に奇抜だ。

 

どうやら、この詩は、タイトルと本文を続けて読む、タイトルと本文をワンセットで解釈しないと、三好達治の意図はわからないみたい。

 

蟻という虫は地味であり、地べた、即ち「土」の上を歩くだけで生活している。羽の生えた蟻は別だが、たいていは、羽を蟻は持っていない。

 

しかし、三好達治は、「土」から、一気に「海」の世界へ、蟻とともに私たち読者も、連れて行ってくれる。

 

想像力というのは、本当に素晴らしい。

 

「土」から「海」を生み出してくれた、三好達治のイマジネーションと表現力に「ありがとう!」と言いたい。

 

三好達治の詩「蝉」

美しい詩 - 三好達治

三好達治の「」というをご紹介します。

 

 

蝉は鳴く

神様がネジをお巻きになっただけ、

蝉は忙しいのだ

夏が行ってしまわないうちに

ぜんまいがすっかりほどけるように

蝉が鳴いている

私はそれを聞きながら

つぎつぎに昔のことを思い出す

それもおおかたは悲しいこと

ああ これではいけない

 

虫のことを詩にしている名作として知られるのが、八木重吉の以下の詩です。

 

八木重吉「虫」

 

また、蝉が出てくる名作としては、松尾芭蕉の以下の句が有名ですよね。

 

閑さや岩にしみ入る蝉の声(しずかさや いわにしみいる せみのこえ)

 

芭蕉には以下の句もあります。

 

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声

 

八木重吉も、芭蕉も、短い言葉の連なりに、自分の思いを凝縮していますよね。短いゆえに、その緊張感は半端ない。

 

一方、三好達治の「蝉」は、どうか?

 

短い命を燃やしきるように泣いている蝉への思いは、八木重吉と芭蕉に共通するのですが、三好達治の場合、そのエンディングによってだいぶ趣きが異なります。

 

夏が行ってしまわないうちに

ぜんまいがすっかりほどけるように

蝉が鳴いている

私はそれを聞きながら

つぎつぎに昔のことを思い出す

それもおおかたは悲しいこと

ああ これではいけない

 

特にラストの3行はいかがだろうか。

 

つぎつぎに昔のことを思い出す

それもおおかたは悲しいこと

ああ これではいけない

 

緊張感は、この3行で、急激にゆるみます。

 

そして、最終行へ。

 

ああ これではいけない

 

デビュー詩集「測量船」で、日本古典文学への敬愛と海外文学の近代性をブレンドした、流麗典雅な作風を示した詩人とは思えない、呆気ない最終行である。

 

初心者が合評会に発表したら、先輩に叱られるような「お粗末なエンディング」とも読めてしまいかねない。

 

なぜ、三好達治はこのような結末を書いてしまったのか。

 

詩の技巧、自分の詩人としての評価、地位などへの配慮を、一切捨て去り、あえて、この最終行を書いてしまった、三好達治の胸中を想うこと以外に、この「蝉」という詩の存在価値はないのかもしれない。

 

悔恨か、それとも悲嘆か、はたまた死への恐怖か……。

 

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