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カテゴリー:室生犀星

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室生犀星の詩「きょうという日」

美しい詩 - 室生犀星

室生犀星に「きょうという日」があります。さっそく、全文を引用してみましょう。

 

きょうという日

 

時計でも

十二時を打つとき

おしまいの鐘をよくきくと、

とても 大きく打つ、

きょうのおわかれにね、

きょうがもう帰って来ないために、

きょうが地球の上にもうなくなり、
ほかの無くなった日にまぎれ込んで

なんでもない日になって行くからだ、

茫々何千年の歳月に連れこまれるのだ、

きょうという日、

そんな日があったか知らと、

どんなにきょうが華かな日であっても、

人びとはそう言ってわすれて行く、

きょうの去るのを停めることが出来ない、

きょう一日だけでも好く生きなければならない。

 

室生犀星は、どのような気持ちで、この「きょうという日」を書いたのだろうか。

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室生犀星の詩「子守歌」

美しい詩 - 室生犀星

今回は室生犀星の「子守歌」という詩をご紹介。

 

子守歌

 

ゆきが降ると 子守歌が聴こえる

これは永い間のわたしのならわしだ

窓から戸口(とぐち)から

空から

子もりうたがきこえる。

だがわたしは子もりうたを聞いたことがない

母というものを子供のときにしらないわたしに

そういう唄の記憶があろうとは思えない。

だが不思議に

雪のふる日は聴える

どこできいたこともない唄がきこえる。

 

室生犀星の詩「子守歌」の朗読はこちらに

 

良い詩ですね。

 

人の共通する遺伝子というか、誰もの心に刻まれている記憶のスイッチを入れてくれるのも、詩の大きな効用です。

 

聴いたこともない子守歌が聴こえるのは、当然でしょう。

 

私たち人間には、いろんな歌の記憶が生まれながらに組み込まれているのだから。

 

経験とか、体験とかではなく、最初から人は何もかもを知っている、と言ったのは山元加津子さんです。

 

特別支援学校(養護学校)の子供たちの中には、重い障害を持った子もいます。そういう子供たちと親身に触れ合ってきた山元加津子さんは、子供は教えなくても、最初から知っていることがたくさんある、という体験をされた、と講演会で話されています。

 

手毬唄などの童歌(わらべうた)も良いですね。子守歌はなお良いかもしれない。なぜなら、母親の子供への愛情が込められているから。

 

幸いなことに、私は幼い頃、手毬唄や子守歌を聴いたことがあります。

 

学校で習ったとかではなくて、日常生活の中で、ふつうに聴けたのです。実際に、澄んだ声で歌を唄いながら毬つきをして遊んでいる子が近所にいました。

 

また、夕暮れ時、若いお母さんが赤ちゃんを抱きながら、体を静かにゆっくりと揺すりながら、子守歌を唄っていたのを、何回か見たことがあります。

 

真綿に優しく包まれるかのような、囁きにも似た子守歌を、澄み切った歌声を、私は幼少期に生で聴くことができたのです。

 

本当に、本当に、尊い経験ができたと、今になって、しみじみ思うのです。

 

室生犀星は「雪のふる日」と歌っていますが、確かに、雪は私たちを別世界に連れて行ってくれますから、ふだん忘れていた大切なことに出逢えやすい。

 

別世界の方が、本当の世界かもしれませんが。懐かしい、静かで温かい、見えるもの、聴こえること、すべてが手触りで感じられる世界に、「雪のふる日」には行けるのですから……。

あはれ花びらながれ……三好達治の詩「甃のうへ」より

美しい詩 - 三好達治 - 室生犀星

あはれ花びらながれ をみなごに花びらながれ」で始る甃のうへ」は、三好達治の代表作であると同時に、日本近代詩が生んだ名作の一つであります。

 

動画】三好達治の名詩「甃のうへ」を読んで「心のふるさと」を

 

この詩が人口に膾炙している(広く知られている)理由は、教科書に載っていたことと、何といってもその覚えやすさでありましょう。

 

音調も優雅で、しっとりとした情緒に浸ることができます。

 

さっそく、その「甃のうへ」を引用してみましょう。 続きを読む

ふるさとは遠きにありて思ふもの

美しい詩 - 室生犀星

室生犀星の以下の詩を知らない人は、まずいないと思いますが、いかがでしょうか?

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしや

うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

 

 

この詩の題名は「小景異情(その二)」。詩集「抒情小曲集」(大正6年9月)に収められています。

 

多くの人は、上の五行だけを暗唱しているのではないでしょうか。

 

【動画】「ふるさとは遠きにありて思ふもの」の朗読と感想

 

「異土」は「いど」と読み、「故郷以外の土地。異郷」という意味。「乞食」は「かたい」と読み、「乞食(こじき)」と同じ意味。

 

それにしても、哀しい歌ですね。ふるさとを持ち、そして、ふるさとに帰れないほど、辛いことはありません。私は18歳で東京に出て以来、ずっと故郷である浜松を避けていた気がします。しかし、父親の具合が悪くなったこともあり、帰郷して数年が経ちました。

 

郷里に帰って、ふるさとのことをしきりに想っている、そんな毎日がずっと続いているのです。

 

そして今、私はまた故郷から旅立とうとしています。「悲しくうたふ」かどうかは別にして、私もまた「ふるさとは遠きにありて思ふもの」であることを痛感しました。

 

ふるさとは実際に帰るところではなく、異郷にて、想い出すところであるべきだと私自身は思っています。

 

私は「旅人」に戻ろうとしているのです。青春期の彷徨を、再び始めるつもりはりませんが、「人生は旅である」という思いが強くなっています。

 

リュックひとつ背負って、全国を放浪したい、そんな気持ちを抑えられなくなっているのです。

 

ところで、あの萩原朔太郎も高く評価した「抒情小曲集」に収められた、この「小景異情(その二)」は、東京にいて望郷の想いを歌った詩ではありません。

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