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かなり前のことです。ライターになったばかりで、まだ修業中(今もそうですが)の頃の話。当時は学生気分がまだ抜け切れていなくて、書生さんみたいでしたね。
毎日、朝日新聞の天声人語を切り抜いて、ファイルしていました。
当時、天声人語を担当していたのは、辰野和男さんです。
辰野和男さんの文章の魅力は、その美しい自然描写にあります。天声人語は新聞のコラムなのに、まるで散文詩を読んでいるような感じでした。
というか、あのコラムは散文詩そのものだったのだと思うのです。辰野さんほど美しい日本語を書いたコラムニストは他にはいないでしょうね。
辰野和男さんは、花とか木が大好きで、よく取り上げられました。中でも印象的だったのが「オオイヌノフグリ」の描写です。
小指の先ほどしかない小さな花で、春先に咲きます。学名はベロニカ・ペルシカ。
私の記憶に残っている辰野さんの描写は「オオイヌノフグリが、澄み切った空の色を映して、瑠璃色に輝いている」というふうな表現でした。
「晴れた空の輝きを映して、瑠璃色の花弁を可憐に開いていた」、そんな感じだったかもしれません。
ただ、次に「白十字の線を祈るように浮き上がらせていた」という表現があったような気がするのです。
その記憶の正体を確かめたくて、古い新聞ファイルを引っ張り出したりしたのですが、出てきません。
仕方がないので、辰野和男さんの本を買ってみました。「天声人語 自然編」という書籍です。
オオイヌノフグリに関する描写がいくつか出てきました。少し引用してみましょう。
わが家の近くでは、オオイヌノフグリが咲いている。晴れた日には、瑠璃色の花を精一杯開くが、うす雲りの日は半開きの憂い顔である。夕風と共につぼんで、やがて散る。はかない花の命だ。
これもなかなか良いのですが、私の記憶の中にある表現ではありません。他にもあったのですが、やはり違っていました。
私の記憶違いなのか、それとも、あの鳥肌が立つほど美しかった表現は、本には掲載しなかったのか。
いずれにせよ、もう、読むことはできないわけです。
空の色を映しているという描写も良いですが、「瑠璃色の花弁の中心から白十字の線が浮き上がっている」という「白十字」「白い十字線」という表現があるから、さらに美しさを増すと思うのですね。
ただ、上のリンク先にあるオオイヌノフグリの写真を見る限り、白十字のラインは見えません。中にはそれに近い花も見えますが、十字線とは少し違っています。
ひょっとすると、辰野和男さんは詩的表現として「白十字」と書いたけれども、新聞記者のバランス感覚が後から働いて、書籍ではその描写を封印してしまったのでしょうか。
ただ、「瑠璃色の小さな花の中心から、純白の十字線が浮き上がっている」とした
ら、それは正に「祈り」以外の何ものでもないと感じられるのは確かです。
今となっては確かめようがありませんが、このような記憶の底から浮かび上がる印象的な表現を私が記憶しているだけでも、幸せと言えそうです。