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島木健作の「赤蛙」は、心の糧になる珠玉の短編小説。

本 - 小説 - 美しい日本語の作品

良い本に限って、絶版になり、なかなか読めないことがあります。

 

また、極めて優れた作品であってもマスコミが取り上げることがないので、忘れ去られている作品も多いのです。

 

日本の名作文学は、日本人の文化遺産であり、22世紀まで伝えてゆかねばなりません。

 

そこで、今回は、心の糧になる日本文学の名作をシリーズでお伝えします。

 

比較的短くて読みやすく、表現も難解でないもの。感動できれば、一生忘れないであろう、純度と深みを有した作品だけを集めてみました。

 

「この作品を忘れられたら困る」という気持ちを込めて、あまり読まれていない「隠れ名作」的なものも入れてみました。

 

では、さっそく、ご紹介しましょう。

 

読み継ぎたい、語り継ぎたい、日本の名作文学(日本人の必読書)、その第1位は、島木健作の「赤蛙」。

 

一匹の蛙を描写した短編小説ですが、人にとっても生きるとは、こういうことかもしれません。命というもの、運命というものを、澄明な文体に浸りながら味わえます。読み終えた時、あなたはきっと静かにつぶやくでしょう、「この蛙は、自分だ」と。

 

島木健作の「赤蛙」は、一言で形容するならば「清冽」です。生きている感じ(生命感)を、ここまで純粋に結晶化させた短編小説は、世界にも例を見ないのではないでしょうか。

 

日本人として生まれたならば、絶対に読んでおくべき作品だと、強調させていただきます。

 

再出版されたのですが、最近、残念ながら絶版になってしまいました。電子書籍(青空文庫)ならば無料で読めます。

原民喜の小説「夏の花」は、聖なる魂が込めれた「慟哭と祈りの未完成狂想曲」。

本 - 小説 - 原民喜

原民喜の小説「夏の花」を新潮文庫で読みました。

 

最初にまず記しておかなければいけないのは、裏表紙の紹介文についてです。

 

「現代日本文学史上もっとも美しい散文」とありますが、極めて誤解を生みやすいというか、明らかに間違いです。

 

「現代日本文学史上もっとも美しい散文」とは何を根拠に言っているのか。

 

巻末の大江健三郎の解説文は、思い入れが激しすぎるのか、大げさな表現、過剰な記述が多く、一種の「悪文」となっています。

 

若い人たちに向かって書いたとご本人は言っていますが、悪影響もあるのではと、危惧している次第です。

 

解説文の中でも、大江健三郎は原民喜を「現代日本文学のもっとも美しい散文家のひとり」と評していますが、あまりに過大にして偏った評価だと言わざるを得ません。

 

「夏の花」を読めばわかりますが、決して「美しい散文」で書かれてはいません。美意識の範囲を極限まで広げても、決して美しい文体でもなく、文章でもなく、一部の描写、記述に美しい表現があるわけでもないのです。

 

美しい抒情的な表現をすべて排除して、なおかつ美しい作品というものはありますが、「夏の花」はそういう小説でも断じてありません。

 

原爆の過酷さと悲惨さ題と、綺麗な「夏の花」というタイトルとのコントラストを、感傷的かつ安易に「美しい」と評してしまいたくなる気持ちはわかります。

 

でもしかし、「現代日本文学史上もっとも美しい散文」と形容してしまうのは、「夏の花」の価値を正当に評価するという点において、著しく逸脱すると私は断言いたします。

 

安易に「日本で最も美しい文体」だという先入観を持って、読むと、ほぼ全員が裏切られることでしょう。

 

若い人たちにも、読み間違えてほしくはないので、「美しい」なというという形容詞は、削除していただきたい。

 

美しい文体で書かれているのは、岩波文庫で書かれている「原民喜全詩集」の方です。

 

⇒原民喜の詩については、こちらをお読みください

 

小説「夏の花」やその他の小説は、意図的に「美しい表現」を避けて書かれていることを忘れてはなりません。

 

被爆を体験した作家がその体験を小説にした点において、貴重であることは間違いありません。

 

さまざまな日本文学を読んできた私としては、記録文学として特に優れているわけでもなく、短編小説として情景描写・心理描写・抒情性・審美性などにおいて文学的に極めて優れているとは言い難い。

 

私としては「夏の花」など、被爆体験小説群を、「聖なる凡作」という言葉で賞讃したいのです。

 

「原民喜全詩集」を読みますと、原民喜は類まれな詩精神を持っていることを感じ取ることができます。

 

しかし、原民喜は詩においても、小説においても、自らの才能を完全には開花し得なかったのではないでしょうか。

 

その原因は定かではありません。被爆体験が強烈すぎたために、その体験が原民喜の才能を圧迫したのかもしれません。

 

類まれな才能を持った原民喜でさえも、被爆体験はあまりに生々しく、その豊かな才能を開花し得なかった、と言った方が適切でしょう。

 

しかし、才能を開花しきれなかったといえども、原民喜の遺した詩と小説を、私は繰り返し読み続けてゆこうと思っています。

 

文学作品として、もっと優れた作品、美しい作品はありますが、原民喜の遺した言葉の群れには、作品に本来求められるはずの完成度を超えた「力」があります。

 

それは、叫びにならない叫び、慟哭にならない慟哭、言葉に置き換えられない祈りが、込められているからではないでしょうか。

 

その意味で、原民喜の作品は私にとって「凡作」であるはずはなく、作品としての結晶をも拒む、聖なる力が込めれた「言葉の未完成狂想曲」と呼びたいと密かに思っているのです。

中野好夫の「文学の常識」は名著です。

本 - エッセイ・評論 - 美しい日本語の作品

中野好夫(なかの よしお)の「文学の常識」という著書をご存知でしょうか。中野好夫という名前を知らない人が多いのではないかと思います。

 

「文学の常識」は文庫本ですが、現在は絶版になっているのです。

 

古本なら購入可能⇒中野好夫「文学の常識」

 

しかし、私の体験から、中野好夫の「文学の常識」は名著であると断言できます。

 

この本は、老若男女問わず、多くの人に読んでほしいので、今回、ご紹介することにしました。 続きを読む

Kindleで電子書籍を読むことは本の断捨離と読書時間の増加に役立つ。

本 - 電子書籍

紙の書籍は場所をとるので、狭い部屋に住んでいる私にとっては「本の断捨離」は、生活の知恵というより、生きるための必須要件です。

 

本の断捨離をかなえるには、要するに、本を捨てれば良いわけです。しかし、本はもともと好きだし、家宝に近い大事な書籍もあります。

 

そのため、極力、新しく買う本は紙の書籍ではなく、電子書籍にしているわけです。

 

2014-11-20 16.29.34

 

スマホをいじる時間が長くなると、本を読む時間が短くなります。なぜなら、以前はちょっとした待ち時間には文庫本を読んでいたのに、今はスマホを触っているからです。

 

何とかして、減ってしまった読書時間を再び増やしたい。実はそのために役立つのが、電子書籍リーダーなのですよ。

 

電子書籍リーダーには膨大な量のデータが入るので、結果として、何十冊もの本をいっぺんに持ち歩けることになります。

 

紙の書籍ではなく、電子書籍を読むメリットは、以下の3点があると思います。

 

電子書籍のメリット

 

1)本の断捨離につながる。

 

2)読書時間が増える。

 

3)いっぺんに何十冊もの書籍を持ち歩くことができる。

 

で、どの電子書籍リーダーを使うかが問題ですよね 続きを読む