カテゴリー:罪と罰

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漫画で読む「罪と罰」。ドストエフスキーの名作長編小説はマンガから始めても面白い。

ドストエフスキー - 罪と罰

ドストエフスキーを語る人たちは、何だか、当然のように彼の全集を全部読破していることを前提にしているふしがあります。

 

まさか、ですよねえ。

 

こんな娯楽があふれかえっていて、一方ではいつも時間に追われている現代社会において、ドストエフスキーの5大長編を読んでいる人のほうが、おかしいです(苦笑)。

 

ドストエフスキー愛好者たちは、Webで読むかぎり、閉じているなあという感じがします。もっと、開いてゆかないと、ドストエフスキーを語り継いでゆけないと思うんですが……。

 

ですから、私はここでは、とことん目線を下げて、ドストエフスキーについて考えています。 続きを読む

ドストエフスキー「罪と罰」入門。その登場人物たち。

ドストエフスキー - 罪と罰

ドストエフスキーの「罪と罰」を粘り強く読んでゆきます。今回のテーマは「人物設定(登場人物)について」です。

 

彼の人物造形の仕方は極めて鋭く、独特の趣きを呈している。それらの魅力の秘密を事細かく解き明かしてゆきたい。

 

「罪と罰」の登場人物

 

ロジオン・ロマーヴィチ・ラスコーリニコフ

 

■役割/主人公。

■年齢/23歳。

■職業/大学の法科を中退。現在は無職。

■性格/孤独で、狂信的な夢想家。臆病で神経質。人間嫌悪。

■目的/何か陰謀を企んでいるらしい(老婆殺人事件)。

■容姿/眼はきれいに澄んでいる。髪は栗色。おどろくほどの美青年。背は高く、やせぎみで、均斉がとれている。

■癖/独り言を言う。

 

アリョーナ・イワーノヴナ(老婆)

 

■職業/質屋。

■年齢/60歳前後。

■容貌/小柄。意地悪そうなけわしい目。小さな鼻は鋭く尖っている。鶏の足のような首。服装は夏に似合わない格好。

■癖/たえず咳をしたり、喉を鳴らしたりしている。

■性格/疑り深い。

■主人公との関係/忌み嫌うべき存在。殺したいくらい憎い人物。

 

ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ、ソーネチカ)

 

マルメラードフの娘。家族を飢餓から救うため、売春婦となった。ラスコーリニコフが犯罪を告白する最初の人物である。

 

ポルフィーリー・ペトローヴィチ

 

予審判事。ラスコーリニコフを心理的証拠だけで追い詰め、鬼気迫る論戦を展開する。

 

アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ (ドゥーネチカ、ドゥーニャ)

 

ラスコーリニコフの妹。美しく芯の強い、果敢な娘。兄や母の事を考え裕福な結婚をするため、ルージンと婚約するが、ルージンの横柄さに憤慨し、破局する。以前家庭教師をしていた家の主人スヴィドリガイロフに好意を持たれている。

 

アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ

 

ドゥーニャを家庭教師として雇っていた家の主人。ラスコーリニコフのソーニャへの告白を立ち聞きする。

マルメラードフの遺児を孤児院に入れ、ソーニャと自身の婚約者へは金銭を与えている。

妻のマルファ・ペトローヴナは3,000ルーブルの遺産を残して他界。

 

ドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン

 

ラスコーリニコフの友人。ラズミーヒンと呼ばれる。変わり者だが誠実な青年。ドゥーニャに好意を抱く。

 

セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ

 

居酒屋でラスコーリニコフと知り合う、飲んだくれの九等官の退職官吏。ソーニャの父。

仕事を貰ってもすぐに辞めて家の金を飲み代に使ってしまうという悪癖のため、一家を不幸に陥れる。最期は馬車に轢かれ、ソーニャの腕の中で息を引き取る。

 

ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン

 

7等文官の弁護士。45歳。ドゥーニャの婚約者。ドゥーニャと結婚しようとするが、ドゥーニャを支配しようとする高慢さが明らかになり、ラスコーリニコフと決裂し、破局する。

ラスコーリニコフへの当て付けにソーニャを罠にかけ、窃盗の冤罪をかぶせようとするが失敗する。

 

リザヴェータ・イワーノヴナ

 

アリョーナの義理の妹。気が弱く、義姉の言いなりになっている。ラスコーリニコフに殺害される。ソーニャとは友人であった。

 

ゾシーモフ

 

医者。ラズミーヒンの友人。ラスコーリニコフを診察する。

 

ニコライ

 

殺人の嫌疑をかけられたペンキ職人。彼の予想外の行動が、この事件をこじらせることとなる。

 

ドストエフスキーの創作ノートの写真を見た時、ぎっしり書き込まれいて、そのパワフルさに圧倒された記憶がある。では、彼の構成力はどうなっているのか。

 

気になるところだ。創造の悪魔に取りつかれた彼は、筆にまかせて書きまくるタイプで、構成力には難があるのでは、と思っているが、果たしてどうだろうか。

 

第六部+エピローグで構成されているが、各章ごとに精細に分析してゆきたい。この続きは次回に。

 

ドストエフスキーの略歴

 

1821年 モスクワに生まれる。父親は医師。

1837年 16歳。母親を病気で失う。

1839年 18歳。父親を農奴たちに惨殺される。

1849年 28歳。死刑を宣告され、模擬銃殺刑を体験。

1850~1854年 29~33歳。シベリア流刑。

1857年 36歳。結婚。

1864年 43歳。妻死去。

1866年 45歳。「罪と罰」発表。

1867年 46歳。2度目の結婚。

1881年 59歳。死去。

 

ドストエフスキーの「罪と罰」を熟読し、いろんなことを考えることによって、忘れかけていた大切なものを掘り起こせるのではと期待しています。

 

私は専門の研究者でも評論家でもありません。いえ、初心者というべき存在です。

 

でも、文芸家ではなく、現代社会の中で、もがく一生活人として、この偉大な傑作の行間を懸命に味わうことは、それはそれなりの意義があるのではないでしょうか。

 

でも、あまりいかめしい感じにならないようにしたいですね。

 

霊峰を一歩一歩登るように、また深く井戸を掘ってゆくように、「罪と罰」を熟読すれば、小説という表現形式の精髄、秘められた源流にきっと突き当たることができるのではと密かに期待しています。

 

[この「罪と罰」入門の特徴]

 

1]アカデミックな研究の場ではない(先人の研究も尊重)。

2]今の視点から、生活者の感覚で読む。

3]小説の技法論もチェックする。

4]10代~30代の方とも「罪と罰」の素晴らしさを共有できる広場を目指す。

5]作者と作品への敬意を込めて、真剣に楽しむ。

ドストエフスキーの「罪と罰」を読んで、読書は格闘技だと痛感した件

ドストエフスキー - 罪と罰

ドストエフスキーの「罪と罰」はまともな感覚で読んだら、発狂してしまうかもしれない。そういうギリギリのところで読むことを人に要求する、聖なる邪悪の書なのだ。

 

大学教授とか、冷静にドストエフスキーを研究している者もいるけれど、冷静に分析して理解できないのがドストエフスキーという人間なのだ。

 

さて、今回はこの「罪と罰」を、どのように読み切るか、その対策について考えてみたい。

 

「罪と罰」攻略法、そんなものはない、だろうか?

 

つくずくと思うのだが、この小説、世界最高峰の有難い文学として読まないほうがいい。

 

この小説はそれほど優れた作品ではない、と思っていてちょうどいい。

 

要するにびびったらやられる。受身にまわったら、この小説は嵩にかかった攻め立ててくる。

 

この小説は作者の崇高な思想とか良心、善意といったものだけで書かれたものではないことを知っておいたほうがいい。

 

人物が物語の流れを無視して延々語りはじめる、この無神経さ、喋り出すと止まらなくなる弁舌の異常さは、半分は醜悪な狂気の排泄物だと決め付けてしまってもいい。

 

まともな人間にこんな狂気じみた会話が書けるはずはない。作者は狂っているのだ。決して過大評価する必要もない。

 

何を言いたいかというと、この小説の異常な感染力に気をつけろとい自戒しているのだ。

 

毒の分泌にあてられるのではなく、毒は毒をもって制するくらいの気概でのぞむか、時どき相手の突進をいなしてもかまわない。

 

頭だけで読んでいる人や、研究家で何か変わったことを言って目立ちたいなどと思っている輩には、私は関心はない。

 

繊細で誠実で、感受性の高い、しかも純粋な魂を持った読者にだけ、興味がある。

 

彼らはお手軽小説やお手軽映画をどれほど享受しても何も変わらないことを知っている。

 

だから、わざわざ「罪と罰」という茨の道を選んだのだ。愛すべき友よ、遭難だけは避けようじゃないか。身も心も大切にしつつ、この危うい橋を渡ろう。

 

「罪と罰」は凄い小説だが、それ以上に欠点が多く、低劣な部分もある。

 

だから、この作品の毒に負けないで、自分の力に変えるための意図的な努力に専念すべきだろう。

 

もちろん、通読するだけでは駄目だ。意識的に常に警戒心を持ちながら、敬意を払いつつ、突き放した視点を失わないこと。

 

野性動物のように身をかがめ、全身に注意を張りめぐらして読み進むのだ。

 

そう、これはもう読書などという生やさしい行為ではない。喰うか喰われるかの戦いなのだ。

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