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映画「黒い画集 ある遭難」は秀逸な山岳ミステリ。

映画「黒い画集 ある遭難」をアマゾンビデオで鑑賞しました。

 

原作は松本清張の小説「遭難」。映画「黒い画集 ある遭難」は、1961年6月17日に公開されました。

 

「黒い画集 ある遭難」はこちらで視聴できます

 

結論から言いますと、これは見る価値のある映画です。

 

「ある遭難」というタイトルを見た時、あまり見たいという気持ちが起きませんでした。

 

しかし「黒い画集」シリーズの他の2作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」「黒い画集 第二話 寒流」は、いずれも非常に面白かったので、「これもたぶん見応えあるだろう」と、鑑賞に至った次第です。

 

タイトルは地味ですが、最後までグイグイと引っ張られました。そして、ラストの衝撃……。

 

山岳ミステリとして、非常によくできている。犯行の動機は、やはり男と女のもつれ。

松本清張がしばしば犯罪の動機として描くテーマですが、登山している時に事件が起きるという設定と展開が絶妙でした。

 

山岳ミステリは、非常に新鮮であり、人間の心理描写も決して浅くはありません。それだけに、松本清張の小説を映画化した作品の中でも、優れた部類に入ると思います。

松本清張の推理小説を映画化した「天城越え」は、田中裕子の演技が鮮烈。

映画「天城越え」を、今回初めて鑑賞しました。

 

これまでに何度かDVDで見ようとしたのですが、なぜか途中で挫折してしまったのです。

 

今回は最後まで鑑賞。

 

完成度の高い映画です。特に田中裕子の演技は濃厚かつ鮮烈でした。

 

しかし、この映画を私は愛し続け、今後も繰り返し鑑賞するかというと、それは疑問です。

 

いろんな意味で、昭和の映画です。長く、濃く、原色が似合う、昭和という時代が生んだ映画という感じがしました。

 

「天城越え」は1983年2月19日公開された日本映画。監督は三村晴彦。出演は田中裕子、渡瀬恒彦、平幹二朗、吉行和子など。

 

テーマは「性への呪い」。松本清張が何度も何度も書き続けたテーマです。性描写は、どぎついまでに濃厚です。「影の車」でも、少年の性に対する異様な嫌悪感が描かれていました。

 

少年の吹き出してくる性欲の激しさ。それと同時に膨れ上がる性への嫌悪感を軸として、見事にミステリが構築されています。しかし、それだけです。興味をそそられるテーマですが、その先、その奥が見たかった。

 

松本清張の小説を映画化した作品はたくさんありますが、それらの中の傑作と比べると、何かが足りません。筋書きは面白いけれども、人生の深部が描出されているかというと、それはむしろ希薄です。

 

この物語の中で、実は最も重いのは、殺人を犯した少年がこれまでどのような心の葛藤をして生きてきたかということでしょう。

 

その葛藤がどのような形で物語の中にあらわれるのか、その心理を微細かつドラマチックに描いてこそ、本当に優れた映画になると感じました。

 

殺人を犯した人間の葛藤が鮮やかに描かれた傑作が「砂の器」です。

 

「天城越え」も、良い映画ですが、テンポの悪さが、濃い人間ドラマを、くどくどしく感じさせている点が残念でした。

映画「震える舌」は映画史に残る異色の名作。渡瀬恒彦と十朱幸代の壮絶な熱演が光る。

野村芳太郎が監督した作品ということで、見応えはあるだろうと予測しつつ、映画震える舌」をアマゾンビデオで鑑賞しました。

 

 

見応えがあるどころか、これは傑作です。映画史に残る異色作。病に苦しむ娘役の若命真裕子(わかもり まゆこ)も印象深いのですが、それよりも、子供の両親役を演じた渡瀬恒彦十朱幸代の演技には鬼気迫るものがあり、圧倒されました。

 

映画「震える舌(ふるえるした)」は、1980年に公開された日本映画。三木卓の同名小説が原作。三木卓は自分の娘が破傷風菌に感染した時のことを小説として描いています。

 

破傷風という病気がこれほど恐ろしいものであることを全く知りませんでした。破傷風菌に侵された娘の病状が悪化。生死の間をさまよう状況に。目覆いたくなるシーンが後半まで続きます。

 

極限状況、修羅場の連続。しかし、途中で見るのをやめる気には一度もなりませんでした。

 

それは、物語が進行するうちに「この映画は本物だ。役者の演技もすさまじいし、それでけでも賞賛に値するし、最後まで見とどけないと悔いを残すことになる」と感じとったからです。

 

私は映画をこのよなく愛する者です。映画を愛する者として「この映画は見ないと後悔する」と本能的に直感できる映画は、そうそうあるものではありません。

 

冷静沈着な主治医役の中野良子も良かった。老教授役の宇野重吉の存在も効いていました。

 

野村芳太郎といえば、「ゼロの焦点」「張込み」「砂の器」「影の車」「鬼畜」など、松本清張の小説を原作とする映画作品で知られています。

 

いずれも、人間の心理に鋭いメスを入れ、奥部をえぐり出すような描き方に特徴があるのです。

 

その中でも、この「震える舌」の迫力は、のけぞるほどでした。演出が少し極端で、オーバー気味ともとれますが、それが映画としての完成度を傷つけていることはありません。

 

過剰とも言える演出にリアリティを与え、作品としての品格を保ち、最後まで画面に私を釘づけにしたのは、他でもない、渡瀬恒彦と十朱幸代の演技力です。

 

二人とも、演技力では定評のある昭和の名俳優ですが、それにしても、この「震える舌」での熱演には感服。

 

ドラマは変化の中にあるといいます。渡瀬恒彦と十朱幸代の豹変ぶりから、映画(優秀な役者が役を演じ切る、それを鑑賞すること)の醍醐味を堪能させてもらえました。

 

オープニングからラストまで、渡瀬恒彦と十朱幸代の表情の変化を追ってゆくだけでも、画面に没入してしまいます。

 

そして、この映画「震える舌」のラストが素晴らしい。このエンディングによって、過酷なシーンに耐えてきた私の魂も救済され、最後まで見て良かったと実感しました。