「文は人なり」という言葉を知ったのは、ずいぶん昔のことです。日本で最高の評論家と評価されている小林秀雄の本の中に「文は人なり」が出ていて、良い言葉だなと強く感じたのを今でも鮮明に憶えています。
故事ことわざ辞典で「文は人なり」を調べますと、この言葉を最初に言ったのはフランスの博物学者であるビュフォンとありました。
「文は人なり」は、1753年にアカデミーフランセーズの入会演説で、ビュフォンが語った言葉だそうです。
世の中に名言と呼ばれる言葉は無数にありますが、その中でも「文は人なり」は特に素晴らしいと、今になってしみじみと感じ入っています。
「文は人なり」は「書いた文章には、その人自身が隠しようもなくあらわれる」ことを示しているのですね。
文章は技術だけではどうにもならない面があります。私が運営する「風花塾」でライティング講座をプロのライターさんにお願いしているのですが、スカイプで話していた時に、その方がおっしゃった言葉が実に印象的でした。
文章には、それを書いた人がどうしようなく反映されてしまうので、文章を直すとしたら、その人自身に変わってもらわないことにはどうにもならない場合がある。
文章には、その人の価値観、美意識、さらには「生き方そのもの」が、隠しようもなく反映されてしまうことは確かです。
「生き方」自体が歪んでいたら、その歪みが文章に出てしまうのです。どんなに表面を美辞麗句で飾ったところで、その人自身の本質は必ず滲み出る。
要するに、文を語る場合、その人と切り離して評価することは不可能だということです。
文章を磨くことは、自分自身を磨くことにほかなりません。凛とした文体を具現化しようと思ったら、生き方が凛としないことにはどうにもならないわけです。
以上の意味から、文章道は人間道であると言えます。