「ブログ記事に求められる要素」の3回目です。これまで「一本の矢であること」と「ドラマチックであること」についてお伝えしました。

 

今回は「人間的であること」についてです。

 

風花未来が粘り強く、繰り返し語っていることがあります。それは、ブログという「自分メディア」を持ち、自分のメディアであるブログで、自分の意志から自分の書きたいことを書くことの意味です。

 

なぜ、一般人の個人が、ブログに記事をアップするのか?

ブログに記事を書くのは、人が人らしくあるため。

ブログに記事を書くのは、自分が自分らしくあるため。

 

戦後、民主主義が浸透して、誰もが自由に自分の意見を述べられる時代となった、と言われていますが、現実は違います。

 

階層社会は歴然としてありますし、政治やマスコミは、一般庶民にお金を払わせることを目的に、情報操作や洗脳をし続けています。

 

そのため、今もなお、多くの人は自分の意見を主張するという習慣さえ持っていません。

 

ブログが普及したことで、誰でもが自分のメディアを持て、そこで自分の見解を述べることができるようになったのです。しかし、まだまだ、その素晴らしさを共有するところまで行っていません。

 

ブログに記事を書くのは、何ものにも支配されない「自由な自分」を確立したり、表現したりするためであることを、忘れたくないと風花未来は思っています。

 

人は自由でなければ、人間性を失ってしまいます。だから、人間的であるためには、自由でなければならず、自由を確認するためには、自分のメディアで自分の言葉を発信する必要があるのです。

 

ですから「ブログ記事に求まれる要素」として、この「人間的であること」が非常に大事となります。

 

企業に雇われて、やりたくない仕事を無理やりやらされたり、意味のない作業を続けさせられてきた、そういう不自由な環境から脱出するための有力な手段として、自分メディアを持つことがあるのです。

 

それなのに、意味のないサイトを大量に作成したり、自分が紹介したくもない商品を無理に売ろうとするアフィリエイターが多いのが、私には信じられません。

 

それでは、人間的でない生活から逃れるためのツールであるブログを使って、自分から非人間的な行為をしていることになるから。なぜ、そういうことになるのか? それは、弱いからでしょう。

 

人間は人間的であるために、もっと強くなるべきです。

 

人が人として、人らしくあるために、自分メディアであるブログを使ってほしいし、私はずっとそうしてゆくと決めています。

 

最後に「ブログ記事に求められる要素」について、おさらいしてみますね。

 

●一本の矢であること

 

●ドラマチックであること

 

●人間的であること

 

ブログを始めてすぐに以上の条件をかなえることは無理ですが、長く自分メディアを運営してゆく途上で、ときどき思い出していただければ幸いです。