おいで一緒に」という楽曲をご存じだろうか。別名は「山と川」。

 

この「おいで一緒に(山と川)」の歌詞が、胸に沁みる。作詞はパブロ・ネルーダ、訳詞は笠木透である。

 

おいで一緒に(山と川)

 

【作詞】パブロ・ネルーダ Pablo Neruda

【作曲】ディナ・ロッド

【訳詞】麦笛の会・笠木透

 

*私の国には 山がある

おいで一緒に わたしたちと

私の国には 川がある

おいで一緒に わたしたちと

 

1.山にのぼるのは 悲しいから

おいで一緒に わたしたちと

川をくだるのは 淋しいから

おいで一緒に わたしたちと

*くりかえし

 

2.苦しみばかり 続くとも

おいで一緒に わたしたちと

私と同じ あなたたち

おいで一緒に わたしたちと

*くりかえし

 

3.この闘いは きびしいだろう

けれどあなたは 行くだろう

この生き方は きびしいだろう

けれどあなたは 行くだろう

*くりかえし

 

おいで一緒に わたしたちと

 

※「おいで一緒に(山と川)」の楽曲はYouTubeで聴くことができます。

 

パブロ・ネルーダ(1904~1973)はチリの詩人、外交官、政治家。

 

チリ大学在学中に出版した「二十の愛の詩と一つの絶望の歌」により、中南米の有望な詩人として認められる。1971年にノーベル文学賞を受賞。「愛と革命の偉大なる詩人」と称されている。

 

27年外交官となり、34年赴任したスペインでロルカ等と親交を結び、内戦では人民戦線を支援して『わが心のスペイン』を書く。

 

45年上院議員に選出され、共産党に入党。

 

48年独裁色を強める大統領を非難、逮捕命令が出たため地下に潜伏しながらアメリカ大陸の文化、地理、歴史、世界の階級闘争を包含する一大叙事詩『おおいなる歌』を執筆。

 

49年亡命、52年帰国。70年世界初の民主革命政権の樹立に尽力、同政権下のフランス大使として赴任。

 

1972年に、ガンに侵されていたため、大使を辞任しチリに帰国した。

 

1973年9月11日、ピノチェト将軍率いる国軍がクーデターを起こした際、兵士がネルーダの家に押し入り、調度品を叩き壊し蔵書を破り捨てるなどして徹底的に家を破壊した。彼はこのことにショックを受け、病状は急激に悪化したといわれる。

 

9月23日、危篤状態に陥ったため病院に搬送されたが、途中軍の検問で停止させられ、救急車から引きずり出されるなどしたために到着が遅れ、病院に着いたときには既に死亡していた。

 

彼は病気で死に、クーデターで魂を殺された。彼は二度死んだのだ」とチリでは言われている。毒殺の疑いがあるとして訴訟も起こされた。

 

代表作にチリの自然の美しさをうたった「マチュピチュの高み」や「女のからだ」などがある。

 

ガブリエル・ガルシア=マルケスは「どの言語の中でも20世紀の最高の詩人」と称えた。若いころから詩人として名をなした。

 

妻に贈った詩「100の愛のソネット」が有名。南米では頻繁に詩の朗読会が開かれている。