夏風邪の出口が見えず閉口しているのですが、落ち込んでいても仕方がないので、今日は少し涼しい話。

 

寒いと感じた、夏の思い出話です。

 

あの夏は、確かに、寒かった。

 

中学三年生の夏休み。来年は受験なのに、なぜか毎日、友だちと2人でプールに泳ぎに行っていました。

 

晴れた日はもちろん、雨の日も風の日も、毎日通い続けたのです。

 

雨の日に、人気来ないプールで泳ぐ時は、寒かった。プールサイドに上がった時、体がガチガチと震えたのを今でも鮮明に憶えています。

 

灰色の空、灰色の水面。水しぶきを上げて打ちつける強い雨……どれを見ても、冷え冷えとした光景であり、夏でも寒いことが確かにあるのでした。

 

当時は、エアコンをつけっぱなしにする習慣はありませんでした。そのかわり、日陰に入ると、風がひんやりと感じる、そんな瞬間が真夏でもあったのです。

 

思い返せば、中学三年の夏休み。大事な時期でもあるはずです。受験など、先のことを考えれば、プールどころではありません。

 

しかし、そうした未来のこと、将来の不安、いやそれだけでなく、生きていること自体の切なさから目を背けたいがために、毎日、とりつかれたように、泳ぎ続けていたのかもしれません。

 

何かから必死に逃げたかった、だから、激しい雨の日も、氷水のように冷えた水の中でも、泳ぎ続けられたのでしょう。

 

では、あの頃は不幸だったのでしょうか? 確かに、身辺にいろんなことがありました。

でも、不幸ではなかった、そう思えます。

 

なぜなら、帰り道、泳ぎつけれた体はぐったりしているのに、自転車をこぐ足は決して重くはなかった。

 

吹きぬける風はひんやりとして気持ちが良かったし、菓子パンのチョコレートサンドの味は、ただただ、ひたすら甘かった。

 

そして何より、あの夏は静かだった。あの静けさは、かぎりなく安らぎに似ていた。

寒かったが、安寧がそこにはあった。

 

想えば、あの寒い夏からずっと、私は安らぎを見つけるために歩いてきた気がする。

 

こうして、夏の記憶をたぐり寄せている、そうしたことができるようになったということは、ひょっとすると、夏風邪の出口が近づいているのかもしれません。