黒澤明の映画「素晴らしき日曜日」は、まだ見たことがないという人が多いのではないでしょうか。
未見の方のために、結論から申し上げますと、非常に良い映画です。ただ、完璧な作品ではありません。美点は捨てがたいが、欠点も少なくないのです。
それと、見る前に知っておいてほしいのは、ラスト15分くらいから山場となること。
「素晴らしき哉、人生!」がそうであるように、「素晴らしき日曜日」においても、ラスト近くで奇跡が起きるのです。
それゆえに、ラスト15分まで、どうか粘って見ていただきたいのであります。
戦争の傷跡が残る街にひっそりと咲く、たった1日だけのラブストーリー。
「素晴らしき日曜日」は、黒澤明が監督した6作目の映画。
公開されたのが1947年(昭和22年)7月1日ですから、かなり古い映画です。黒澤映画の中ではマイナーな作品だと言えるでしょう。
監督は黒澤明。脚本は植草圭之助。主演は沼崎勲、中北千枝子。
私は昨夜久しぶりに見ました。前回は劇場で黒澤明特集をやった時に鑑賞したのですが、当時の私はまだ20歳くらいだったと思います。
当時の私でも「この映画は、ちょっと!?」と感じました。
いわゆる「中だるみ」がひどすぎる。
もちろん、黒澤明は、意図を持って「沈黙の時間」を演出しているわけです。
でも、しかし、その「長い間」は、一種の拷問のように感じられてしまうのは、私だけではないでしょう。
客観的に見て、この長すぎる沈黙は、明らかに演出ミスです。
繰り返しますが、ラストの15分は本当にすばらしい。だから、そこまで辛抱しなければならない。決して早送りはしないで、じっと耐えるのです。
そうすることで、ラストの感動が大きくなります。
ラストの15分は、映画史に燦然と輝く名シーン。
終盤では、ヒロインがスクリーン中からカメラに向かって呼びかけるという珍しい演出が採用されたことは注目に値します。
主人公の沼崎勲は、「未完成交響楽」のチケットが貧乏ゆえに買えなかった。仕方がないので、誰もいない野外音楽堂で、中北千枝子をたった一人の観客に、「未完成交響楽」の指揮をしようとします。
しかし、何度もタクトを振っても、音楽は聞こえてきません。
たまりかねた中北千枝子が、カメラに向かって、次のように叫ぶのです。
皆さん、お願いです。どうか、拍手をしてやってください。皆さんの温かい心で、どうか励ましてやってください。
一つ間違うのベタな演出になり、感動どころか、白けかねませんが、このシーンゆえに「素晴らしき日曜日」は今もなお支持されているのです。
フランスで上映された時には、ヒロインの切なる訴えのとおり、観衆から拍手がわき上がり、スタンディングオベーションとなったと伝えられています。
さらに、フランス映画の名匠であるアラン・レネ監督が「映画史上で最も美しいシーン」だと絶賛したことは有名です。
シューベルトの「未完成交響楽」が流れ始めたら、ラストシーンまで退屈しません。
最初に見た時、野外音楽堂の舞台上に落ち葉が風に流されるシーンに感動しました。「未完成交響楽」と、その落ち葉の動きがパーフェクトに合っていたからです。
黒澤の純粋な創作魂と、主人公二人のひたむきな生きる姿勢が、「未完成交響楽」と落ち葉の動と一体化していると感じました。
この「素晴らしき日曜日」を見た後、しばらくの間、毎日「未完成交響楽」を聴いていたのを今でも鮮明に憶えています。
驚いたことに、あれから長い年月が流れているにもかかわらず、あの時以上に素直に、「素晴らしき日曜日」に感情移入できました。
あなたは「奇跡」が起きることを望んでいますか? 信じていますか?
私なりの映画分類法では、この「素晴らしき日曜日」は「奇跡が起きる映画」に属します。
「オーケストラの少女」「素晴らしき哉、人生」、そしてチャップリンの名画「ライムライト」もまた「奇跡が起きる映画」に他なりません。
4作とも、かなり古い映画です。当時は貧しく娯楽も少なかった。現実は相当に悲惨だったはず。
だから、現実ではありえない「奇跡」を映画で体感したい観衆が多かったのでしょう。
私たち現代人が「奇跡が起きる映画」を見て戸惑いを禁じ得ないのは、「奇跡への飢え」が少ないからです。
「奇跡」を信じるとか信じないとかが問題なのではなく、「奇跡」を望んでいない、あるいは諦めてしまっているのが現代人なのではないでしょうか。
戦前・戦中・戦後のような悲惨きわまりない時代のようには激しくなくとも、やりきれない現実生活から逃れたい気持ちは現代人もあります。
以下の映画も、奇跡が起きる名作映画です。
2作とも優れたファンタジー映画で、今も多くの人に見られています。
私は、昔が良く、今が悪い、と言いたいのではありません。
ただ、現在という時代がいかに病んでいるか、いかに希望を自分たちで擦り減らしているか、そのことに気づくこと。
そして、具体的に病んだ状況からの脱出に向けた対策を実行しないかぎり、息苦しい現状を打破することはできない、と思うのです。
幸運なことに、私は最近あることに気づいたことで、「奇跡は必ず起きる」と信じられるようになりました。そのことについては機会を改めてお伝えします。
私の「奇跡が起きる映画」はアキ・カウリスマキの『ル・アーヴルの靴磨き』です。難民のドーバー海峡を渡ることを手助けした主人公に、妻の死に至る病が治るという奇跡が起きるというものです。
同監督は『浮き雲』でもラストで奇跡を描いている。私はその時は奇跡なんて都合が良すぎると思っていました。でも、『ル・アーヴル〜』のときは、多すぎる世の中の不条理の中で、不幸なものだけでなく、突然の幸福という不条理があってもいいのではないか、と気付きました。
それには、アンドレイ・タルコフスキーの『ストーカー』を観て、信仰に目覚めたことが大きく影響しています。