「美しい日本語」というカテゴリを設けたのですが、なかなか記事が書けませんでした。
「美しい日本語」に関する本は多数出版されていますし、そういうネタ本から引っ張り出せば、容易に書けるでしょう。しかし、それでは味気ないし、気が乗りません。
そこで、今回は私自身が思い入れのある「美しい日本語」をご紹介しましょう。
それは「たゆたう」です。
大辞林は「たゆたう」を以下のように説明しています。
(1)物がゆらゆら動いて定まらない。ただよう。
「波間に―・う小舟」
(2)心が動揺する。ためらう。
「父はあまりの事に、しばし―・ひしが/うたかたの記(鴎外)」「今は逢はじと―・ひぬらし/万葉542」
〔終止形・連体形は「たゆとう」とも発音される〕
「たゆたう」を現在、「ためらう」という意味で使う人はまれだと思います。
私の場合は、「ゆらゆらと漂っている」という意味で、ある状態を表現したいのです。
例えば、「たゆたう時を、しばし味わう」とか。
効率化を追い求めるあまり、日常では、何の目的も持たない、ぼんやりとした時間が極めて少ないのです。そうした慌ただしい日々の中で、ゆらゆらと揺れている、ふんわりとした時間を味わうことは、かなり贅沢な楽しみだと感じます。そこで「楽しみ」ではなく、「愉しみ」と表記したいのです。
「たゆたう時を愉しむ」と書くと、私的には、しっくりくるのですが、いかがでしょうか。
美しい日本語は、骨董品のように飾っておくのではなく、日常から積極的に使いたいものですね。
今後、ご紹介する日本語も、その使い方についても、ごいっしょに考えてゆきましょう。
渡 麻那美さま
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風花未来より
なるほど。「たゆたう」ですか。ゆったりとした印象を受ける言葉ですね。綺麗と言うよりも、何でしょうか。例えば、こんな景色はどうでしょう。
舞台は木々が赤みがかり始めた田舎です。田舎の電車に揺られてひとり傷心旅行。携帯をいじったり、本を読んだりしても良いけれどそんな事はする気になれない。今はただ、雲を眺めて、変わりばえのしない景色を眺めて。そんな景色を眺めているようで、実は取り留めもなく、どうでも良いようなことを考えている。もう、刈り取りの時期か。稲穂が垂れるのはあっという間だな。でも誰かが手に塩かけて育てたんだろうな。その誰かが居なくちゃ稲は育たない。ー僕みたいだな。いや、人間みたいだ。
なんて言う情景です。こんな、ぼんやりした時間こそ「たゆたう」時、と言うのに当てはまるような気がします。少年時代を思い出しました。優しい言葉をありがとうございます。
≪…ふんわりとした時間を味わう…≫は、[かぞえうた]の[いち に さん]の[いち]が[4次元]まで[1]で[意思疎通]できる[数の言葉]の⦅自然数⦆が、[オバケ]と≪…たゆたう…≫できると≪…味わう…≫事ができるかも・・・
[オバケ]は、
「絵本のまち 有田川」の
ちいさな駅美術館 Ponte del Sogno (JR 藤並駅) に
令和二年一月七日~令和二年一月二十四日
の間だけ、[住まわせる]らしい・・・