引っ越しのことを考えるようになって、一冊でも多く本を処分しようと決意しました。というか、どうしても捨てるに捨てえない、もう一度、読まないでは死ねない本だけを新居に持って行こうと思っているのです。

ところが……

この本は、これからも仕事で使うだろうから、捨てられない。この本は、思い出深いので、とっておこう。そういう本ならばあるのですが、この本をもう一度読まないうちは、死んでも死にきれないというような書籍はないことに気づいたのでした。

この数日間、頭の中でリスト化していた名著をあげてみましょう。

ドストエフスキー「白痴」「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」

V.E.フランクル「夜と霧」

ロダン「ロダンの言葉」

アルベール・カミュ「太陽の讃歌」

G. ガルシア=マルケス「百年の孤独」

ルナール「博物誌」

日本戦没学生記念会「きけ わだつみのこえ」

扇谷正造「吉川英治氏におそわったこと」

ずいぶんと本はたくさん読んできたはずなのに、この本を失ったら生きてゆけないなどという本はありませんでした。

上の本の他に、詩集を何冊か持ってゆけば、それだけで良いとさえ思ってしまうのです。

それ以外の本の多くは、仕事で使う、いわば実用書に過ぎません。本棚の奥を探すと、お宝本が何冊かは出てくる気もしているのですが、それさえも、青春の通過点として読んだ思い出本の域を出ないのではないでしょうか。

何だか、寂しい気もしますが、よく読み、よく書くことよりも、よく生きることを、今の自分は欲しているのかもしれません。