中原中也の「別離」という詩を、毎年、数回は想いだします。青春期に愛した詩だからでしょうか。

 

最初の部分を、少し長いのですが、引用していますね。

 

 

さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました

 

さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に

 

さよなら、さよなら!
僕、午睡[ひるね]から覚めてみると
みなさん家を空(あ)けておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します

 

さよなら、さよなら!
そして明日(あした)の今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです

 

さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩[まぶ]しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る

 

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

 

何だか、明るい調子で歌っているようですが、実は、中原中也の哀しみは、極限に達していたらしい。中原中也ならではの道化節なのですね。

 

この奇妙な明るさにこそ、中原中也の詩の本当の魅力があると私は思っています。名作「一つのメルヘン」も、異様なほど明るい幻視の世界が描かれています。「別離」とは話法がまるで違うのですが「奇妙な明るさ」は共通しています。

 

失望と悲嘆の果てに、たどりついた「奇異な明るみ」が、「別離」の道化であり、「一つのメルヘン」の幻想に他なりません。

 

さて、この「別離」の一節で、ふと口ずさんでしまうのが「あなたはそんなにパラソルを振る」というフレーズです。鮮明なイメージが浮かび上がります。

 

では、中原中也の詩「別離」の全文を引用いたしますので、ぜひ、最後までお読みいただけたら幸いです。

 

 

別離

 

 

さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました

 

さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に

 

さよなら、さよなら!
僕、午睡ひるねの夢から覚めてみると
みなさん家をけておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します

 

さよなら、さよなら!
そして明日あしたの今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです

 

さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまりまぶしいのです
あなたはそんなにパラソルを振る

 

さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!

 

 

僕、午睡から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
あの時を、妙に、思ひ出します

 

日向ぼつこをしながらに、
つめ摘んだ時のことも思ひ出します、
みんな、みんな、思ひ出します

 

芝庭のことも、思ひ出します
薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します

 

干された飯櫃おひつがよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……

 

僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
でも、わけて思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう

 

 

忘れがたない、にじと花
忘れがたない、虹と花
虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
どこにまぎれてゆくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、そのくち、そのくちびるの、
いつかは、消えてゆくでせう
みぞれとおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
向いてゐる、向いてゐる
さも殊勝らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
なにも、おこつてゐるわけではないのです、
怒つてゐるわけではないのです

 

忘れがたない虹と花、
虹と花、虹と花、
(霙とおんなじことですよ)

 

 

何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
きんとんでもよい、何でもよい、
何か、僕に食べさして下さい!

 

いいえ、これは、僕の無理だ、
こんなに、野道を歩いてゐながら
野道に、食物たべもの、ありはしない。
ありません、ありはしません!

 

 

向ふに、水車が、見えてゐます、
こけむした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、ほかの話も、すれば出来た
いいえ、やつぱり、出来ません出来ません。