美しい日本語の使い方がわかるようになる本のまとめ

美しい日本語が実際に使えるようになるためには、いろんな要素が必要になります。

 

ふだんから美しい日本語に接することが求められることは当然です。

 

多くの人が苦手としている「敬語」についても学んでおくべきであることは言うまでもありません。

 

さらには、自由な美しい日本語表現を目指すためには、言葉に関する感覚を養う意味で、詩を感じながら読むことは不可欠だと私は信じています。

 

以上の観点から、美しい日本語が使えるようになるために必要な本を今回はご紹介いたします。

 

⇒当ページの内容はこちらに移動いたしましたので、ご覧いただけたら幸いです。

求めていよう~風花未来の詩1

詩を作ることが日常だったことが、かつてありました。それは遠い過去となりましたが、詩想が湧くことはあり、それをスルーすることなく、素直に書きとめてゆけたらと思っています。

 

そのような無理をしないスタンスで書いた、一作目が今回の詩です。

 

求めていよう

 

求めていなければ、とふと思った。

 

求めていなければ、二十歳の頃、あの駅のホームから見上げた、薄紫の空の滲みに、心がうるみはしなかったのではないか。求めていたからこそ、病に倒れていた時、一輪の花に見つめられていると気づいたのだろう。

 

求めても、求めても、オリンピックで金メダルはとれないだろうけれど、巨万の富は得られないだろうけれど、愛した人に自分の愛を受け止めれもらえないかもしれないけれど、求めていれば、求めていて、その上で、何らかの行いをしていれば、この世のすべてに、無視されたりはしない、とは言い切れる気がする。

 

まえぶれもなく、空は淡い光を放ち、温かい色に染まってくれるだろう。未来が感じられる懐かしい歌が、聞こえてくる気がしてならない。帽子が飛びそうなほどの透き通った風が、いつか、きっと吹いてくるに違いない。

 

だから、求めていよう。そして、派手なことでなくても、何かしら確かないとなみを続けていよう。すぐに大きな変化が見えてこなくても、なごやかな気持ちで、静かに今を呼吸していよう。

映画「この子を残して」の感想

この子を残して」という映画を見た人は、どれくらいおられるでしょうか。かなり少ないと想像されます。私も今回が初めての鑑賞でした。この映画を見るようにすすめる人があまりにも少ないからでしょうか。

 

「この子を残して」は、1983年に公開されました。1845年8月9日11時2分に長崎に投下された原子爆弾の問題をあつかった、いわゆる反戦映画です。

 

「この子を残して」の原作は、永井隆(ながいたかし)氏が書いた随筆。

 

永井隆氏とその著書「この子を残して」については、ウィキペディアでわかりやすく説明されていますので、以下、引用いたします。

 

1948年4月30日脱稿。同年、講談社より出版されベストセラーとなった。初版本は絶版となっていたが、戦後60年となる2005年8月に復刻版(発行:秋津書舎 発売:七つ森書館)が出版された。

 

永井隆は、旧制長崎医科大学(現在の長崎大学医学部)で放射線医学担当の助教授・医局員となり、第二次世界大戦が始まる前から放射線に被曝し、1945年6月には白血病と診断されていた。

 

さらに、1945年8月9日11時2分、原爆によって被爆し、妻を亡くす。この著書は、自分の子供を残して死んでゆく悔しさと、自分の専門にかかわる病気と戦争で死ぬ悔しさを訴えたものである。

 

さて、今回鑑賞した映画「この子を残して」ですが、監督は木下恵介。脚本は山田太一と木下恵介が担当しています。

 

映画の完成度などについては、あえて語ることを控えたいと思います。

 

日本人として、長崎の原爆が投下されたこと、投下された長崎にどんなことが起きたのかを知らなければならないので、そういう意味で「この子を残して」は絶対に見るべきだとは強く主張したいのです。

 

日本の現代史を学ぶことは、たいへんなことだとつくづく思います。広島・長崎へ投下された原爆の脅威について、知らないでは済まされない宿命を背負わされているのが、私たち日本人なのですから。