竹中郁(たけなかいく)の「竹のように」というをご紹介します。

 

竹のように

 

のびろ のびろ

まっすぐ のびろ

こどもたちよ

竹のように のびろ

 

風をうけて さらさらと鳴れよ

日をうけて きらきらと光れよ

 

雨をうけたら じっとしてろ

雪がつもれば いっそうこらえろ

石をなげつけられたら

かちんとひびけ

 

ぐんぐん 根をはれ

土の中で その手とその手を

がんじがらめににぎりあえ

竹 竹 竹 竹のように

 

のびろ

五月のみどりよ もえあがれ

 

竹中郁のプロフィール

 

竹中郁(たけなかいく)は、1904年4月1日に生まれ、1982年3月7日に死去。

 

中学時代より北原白秋に傾倒し、『近代風景』『詩と音楽』などの白秋主宰の雑誌に参加。1924年に北川冬彦、安西冬衛らの「亜」のグループと交流をもち、モダニズムのスタイルの影響をうけた。

 

戦後は、多数の校歌を作詞。児童詩の分野で業績を残した。

 

詩の鑑賞:竹中郁「竹のように」

 

「竹のように」は「子ども闘牛士―竹中郁少年詩集」に収められている。

 

竹中郁の詩「竹のように」は、幼稚園や小学校の教材に使われているようだ。

 

鹿児島県霧島市立青葉小学校のホームページで、この「竹のように」が「名文暗唱」のコーナー(掲示板)で「今月の詩」として紹介されていた。

 

また佐賀県杵島郡大町町の大町幼稚園のホームページにも「竹のように」が掲載されている。

 

「少年詩集」というタイトルが示すとおり、子供向けに作られた詩なのだが、そのことが「竹のように」とって幸運だった。子供を主役としたことで、詩作品として祝福され、多くの人に愛され続けているのではないだろうか。

 

テーマも表現も「まっすぐ」なのが良い。技巧に走ったり、下手に「ツイスト(ひねり)」を入れたりしたら、目も当てられない詩になっていたと思われる。

 

詩がこの病み衰えた現代社会で息を吹き返すとしたら、「竹のように」にある「まっすぐな生命力」を「まっすぐに表出」するより道はない、と私は感じ入った。

 

情報過多の時代において、どこまで単純になれるか。生きる最小体として、元素に戻るくらいの気持ちにならないと、詩の復活はあり得ない。

 

その意味では、詩創作において小難しいは考えずに、子供向けに「自己肯定感」の強い詩を書いてみることは、意味があると思われる。

 

いや「子供向け」というか、自分自身が子供に戻って、命の根源から歌い上げることが何よりも大事なのではないだろうか。