金子みすゞの詩「夢売り」

金子みすゞの「夢売り」というをご紹介します。

 

夢売り

 

年のはじめに

夢売りは、

よい初夢を

売りにくる。

 

たからの船に

山のよう、

よい初夢を

積んでくる。

 

そしてやさしい

夢売りは、

夢の買えない

うら町の、

さびしい子等らの

ところへも、

だまって夢を

おいてゆく。

 

世の中、貧困が問題になっていますが、経済状況や生活水準によって、貧困の度合いは測られるようです。

 

私が常に思っているのが、心の貧困です。

 

人を愛せない、生きとし生けるものを慈しむ気持ちを持てない状態を、「貧困」と呼ぶべきではないでしょうか。

 

「愛おしむ」「慈しむ」ことができない時に加え、「夢を持てない」時も、心が貧しくなりますよね。

 

貧乏暮らしでも、夢を持っていれば、辛さも我慢できるでしょう。

 

そこで、今回ご紹介した、金子みすゞの詩「夢売り」なのですが、「夢を売る」って素晴らしい仕事ですね。

 

もしも、そういう職業があれば、ぜひ、ついてみたい。

 

古い漫画に白土三平の「カムイ伝」があります。その中に「夢屋」と呼ばれる人物が登場するのです。

 

江戸時代の後半になりますと、士農工商のうち、商人が力を持つようになります。

 

この場合は、「お金持ちになる」という夢なのですが、何であっても、夢を抱くと、人はパワフルになる。瞳が輝きだす。

 

金子みすゞの詩に登場する「夢売り」は、子供たちにどんな夢をプレゼントしたのでしょうか。

 

私が幼稚園児だったころ、アルバムか文集を出す時に「将来の夢」を訊かれて、私は「保安官」と書きました。

 

テレビの西部劇に出てくる保安官という、強くて正義感の強いヒーローに憧れていたのでしょう。

 

実に、単純な夢でした。今こそ、そうした単純な夢が尊いと感じるのですね。

 

なりたい職業を尋ねられて「正社員」だとか「公務員」と答える人が多いらしい。

 

現代は、夢のある時代ではない、とはよく言われること。

 

しかし、そういう時代だからこそ、人々に夢を与えれる、「夢売り」の存在が必要ですよね。

 

現在の私にとってはの「夢売り」は、見つかりません。

 

たぶん、自分自身が「夢売り」になって、自分に夢を売るしかないのだと思うのです。

 

金子みすゞのその他の詩はこちら

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中原中也の詩「少女と雨」

中原中也の「少女と雨」というをご紹介します。

 

少女と雨

 

少女がいま校庭の隅に佇(たたず)んだのは

其処(そこ)は花畑があって菖蒲(しょうぶ)の花が咲いてるからです

 

菖蒲の花は雨に打たれて

音楽室から来るオルガンの 音を聞いてはいませんでした

 

しとしとと雨はあとからあとから降って

花も葉も畑の土ももう諦めきっています

 

その有様をジッと見てると

なんとも不思議な気がして来ます

 

山も校舎も空の下(もと)に
やがてしずかな回転をはじめ

 

花畑を除く一切のものは

みんなとっくに終ってしまった 夢のような気がしてきます

 

この「少女と雨」を読んで、中原中也の最高傑作と呼ばれる「一つのメルヘン」を、すぐに想起した。

 

「一つのメルヘン」のレビュー記事はこちら

 

「一つのメルヘン」も「少女と雨」も、両方とも、優れた幻想詩だ。

 

幻想の内容そのものが美しいだけでなく、詩として形式的にも美しいのである。

 

しかし、なぜか、形式的な均衡から、中原中也の魂の危機、崩壊の兆し、死の予感を感じ取ってしまう。

 

異様なほど、形式的に、整っている。不吉なほど、修辞学が完璧だ。

 

中原中也は演出で、こうした幻想を詩にしているわけではない。実際に、詩に書かれた幻想を見たのである、と強く直観せざるを得ない。

 

それくらい、ギリギリの緊張感(危うく美しい均衡)が、「少女と雨」と「一つのメルヘン」にはある。

 

もうすぐ、壊れてしまう、もろくも気ずれ落ちてしまう、その直前の凛とした鮮明な映像を、中原中也は定着する。

 

詩作という名の創作活動が、自分の魂を救い、命の充溢をもたらすことと、中原中也はもう信じてはいない。

 

安寧も、癒しも、求めようとは思わない。

 

ここでは中也は、見えたものをそのまま紙に写しとることだけに専心している。まるで、運命に従順であろうとした修道僧にように。

 

あるいは、純真無垢な少女のように

 

詩を書くことが生きることだった中原中也。詩作と生活があまりにも密着しすぎていた天性の詩人が到達した境地が、幻想詩だったとは。

 

これ以上の不幸も、これ以上の幸福もない、なぜか、そんな気がする。

 

「花」「少女」「雨」「オルガンの音」「校舎」「山」などの小道具(舞台装置)を使って、美しい幻想を紡ぎ出すことに成功した。

 

もう、分析はやめよう。

 

「少女と雨」は、中原中也という詩人の到達点を、憔悴した手つきで、死の不気味さ、不吉な予兆を漂わせつつ、しめやかな安らぎの世界を、幻想詩として描き切ってくれたのだから、それだけで充分なのである。

 

中原中也のその他の詩はこちらに

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まど・みちおの詩「せんねん まんねん」

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