吉野弘の詩「雪の日に」

吉野弘の「雪の日に」というをご紹介します。

 

雪の日に

 

――誠実でありたい。

そんなねがいを

どこから手にいれた。

 

それは すでに

欺くことでしかないのに。

 

それが突然わかってしまった雪の

かなしみの上に 新しい雪が ひたひたと

かさなっている。

 

雪は 一度 世界を包んでしまうと

そのあと 限りなく降りつづけねばならない。

純白をあとからあとからかさねてゆかないと

雪のよごれをかくすことが出来ないのだ。

 

誠実が 誠実を

どうしたら欺かないでいることが出来るか

それが もはや

誠実の手には負えなくなってしまったかのように

雪は今日も降っている。

 

雪の上に雪が

その上から雪が

たとえようのない重さで

ひたひたと かさねられてゆく。

かさなってゆく。

 

自分のことを誠実だと思っている人で、誠実な人はいない、と私は思う。

 

例えば、戦争に行き、人を殺してきた人が、戦争が終わってから、私は誠実だと断言できる人がいるだろうか。

 

また、昔、貧しい農家が、娘を売ったという話はよく聞くが、そういう農家の娘の両親は、おそらくは生涯において「誠実」という言葉を封印せざる得ないだろう。

 

私は戦争で人を殺戮した人を、娘を売った親を責めているのではない。

 

人間たちが作り出した、この世とはそういうものだ。人間はそもそも罪深い生き物であり、パーフェクトな「誠実」を手に入れることはできない。そもそも、完璧に「誠実」な人間など存在しない。

 

しかし、そういうことを知りつつも、状況によっては「誠実」を放棄するかもしれないが、できるかぎり、限られた状況下だけれども、精いっぱい「誠実」に生きようとしている人を「誠実な人」と呼ぶべきではないだろうか。

 

吉野弘は、「誠実」を希求する人間の心の葛藤を、以下のように表現した。

 

雪の上に雪が

その上から雪が

たとえようのない重さで

ひたひたと かさねられてゆく。

かさなってゆく。

 

最後の一連で、この詩「雪の日」は深さを増した。

 

そして私たちは「誠実な人」の定義を、以下のように上書きせざるを得なくなる。

 

「誠実な人」とは、誠実であろうとして誠実になりきれないことに苦しみ続ける人間を指す。

 

つまり、誠実な人とは、苦悩の人なのである。

 

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金子みすゞの詩「露」

金子みすゞの「」というをご紹介します。

 

露(つゆ)

 

誰だれにもいわずにおきましょう。

 

朝のお庭のすみっこで、

花がほろりと泣いたこと。

 

もしも噂うわさがひろがって

蜂はちのお耳へはいったら、

 

わるいことでもしたように、

蜜みつをかえしに行ゆくでしょう。

 

この詩は、天使が書いたのでしょうか。それとも、詩の妖精がつづったのでしょうか。

 

この詩のテーマは「優しさ」、あるいは「思いやり」ですね。

 

この詩「露」の中で表現されている「優しさ」や「思いやり」と比べると、私たち人間が日常生活で言っている「優しさ」と「思いやり」が、ひどくおおざっぱで、ゴツゴツとしていて、時に事務的であり、冷淡でさえあることに気づきます。

 

この「露」という作品の中に息づいている「優しさ」を、感じることができるのですから、きっと私たちの中にも、本物の「優しさ」はあるのでしょう。

 

だとするならば、日常をもう少し、慌てないで、時間をかけて、ていねいに暮らせば、もっと優しくなれたり、思いやりを持てるかもしれません。

 

そして、私たちも天使や妖精に近づける……いえいえ、本当の人に戻れると思うのです。

 

この詩は天使か妖精が書いたのでしょうか? いいえ、金子みすゞという人間が書いたのです。

 

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映画「摩天楼」はゲーリー・クーパーとパトリシア・ニールが圧巻。

映画「摩天楼」は1949年に制作されたアメリカ映画。

 

アマゾンプライムで鑑賞したが、映像が鮮明で、そのおかげで、主演女優のパトリシア・ニールの美しさが際立っていた。

 

主演は、ゲーリー・クーパー。頑固一徹な建築家を演じ切っており、人間のあるべき姿、誇りと生命感あふれる人間の素晴らしさが、まぶしいほどに輝いている。

 

監督 キング・ヴィダー
脚本 アイン・ランド
原作 アイン・ランド『水源』(1943年)

 

この監督については知らないし、原作を読もうとも思わない。

 

「摩天楼」という、極めて貴重な映画一本だけで充分だ。

 

タイトルどおり、摩天楼のような屹立した、誇り高き映画である。

 

現代人が忘れてしまった、人間像が描かれているので、多くの人に見てほしいと思う。