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そこに、愛はあるのかい?

相当に前のことにになりますが、「そこに、愛はあるのかい?」というタイトルでメルマガを書いたことがあります。

 

今回もあえて、同じタイトルで記事をしたためてみたいのです。

 

先日、名古屋セミナーを開催したのですが、ようやく、その余韻も薄れ、平常の暮らしのリズムに戻りつつあります。

 

私の性格上、何かイベントを設定すると、それに向けて頑張ってしまうので、イベントが終わらないかぎり、他のことに手をそめられない傾向があります。

 

ですから、年内中に東京でワークショップを開きたいのですが、ちょっとちゅうちょしているのです。

 

ワークショップより前に、やるべきことがあるのではないか、そんな気がしています。

 

で、「そこに、愛はあるのか、ないのか」という話に移りましょう。

 

名古屋セミナーのあと、懇親会でいろんな質問をいただき、強く想ったことがあります。

 

順番が違っているでしょう、と。

 

何かで成功したい場合、手っ取り早く、テクニックを覚えたがる人が実に多い。

 

でも、それでは、成功を引き寄せることはできません。

 

名古屋セミナーだけでなく、風花がしばしば語ることがあります。

カフェの話です。

 

店主が愛情をこめていれてくれた一杯は、本当においしいのですね。

 

この一杯いっぱいに愛情を常に込めることが難しいのです。

 

しかし、私に対し、SEO対策だの、キーワードだの、小手先の技術を知りたがる人が多いけれど、「どうしたら、愛情をこめて文章を書けるようになるだろうか?」という質問する人はおられません。

 

愛情のこもった良質なコンテンツが育てられれば、もうほとんど成功したも同然です。

 

それなのに、愛情なしに、機械的に、効率よく稼ぎたいと思ってしまうから、成功が遠ざかってしまう。

 

例えば、あなたは以下のような愚痴をこぼしたことがありませんか?

 

※愛のないS○Xは空しい。

 

※あの店の料理は、愛がこめられていないから美味くない。

 

※あの病院の看護には愛が感じられないので、入院が辛かった。

いかがでしょうか?

 

要するに、人という生き物は、愛が不足すると、不愉快になる傾向が強いのです。

 

愛が薄いと、呼吸困難におちいるのが人間だということを忘れないでください。

 

逆に、人は愛に満たされた時、幸せな気分に浸ることができるのですね。

 

ですから、私たちが、ブログやメルマガなどの自分メディアを運営する場合は、そこに、必ず愛情をこめるべきなのです。

 

そうしないかぎり、読者にあなたが愛されることはありません。

 

愛情がこもっていない文章を、そもそも誰が読みたいでしょうか。

 

表現を変えましょう。

 

行動を起こす時、その動機が愛でない場合には、その行動が、人を真に歓ばせたり、幸せにしたりすることはありません。

 

愛のない、いかなる行為も不毛だと言えます。

 

「どうしたら、初芽ブログで簡単に商品が売れるようにでできますか?」という質問をときどきいただきます。

 

もちろん、やるべきことはいろいろあります。

 

しかし、その中でもっとも大事なことは、自分の書く文章に愛情を込めことなのです。

 

あなた自身、あなたの書いた文章に対し、このように問いかけてみてください。

 

「そこに、愛はあるのかい?」と。

 

自らが作るコンテンツに、精一杯の愛情を込めるのが、風花スタイルの基本中の基本なのです。

木下夕爾の詩「ひばりのす」

今回は木下夕爾(きのしたゆうじ)の「ひばりのす」という詩をご紹介。

 

ひばりのす

 

ひばりのす

みつけた

まだたれも知らない

 

あそこだ

水車小屋のわき

しんりょうしょの赤い屋根のみえる

あのむぎばたけだ

 

小さいたまごが

五つならんでる

まだたれにもいわない

 

この子供の「ときめき」ほど素晴らしいものが、この世にあるだろうか。

 

命への純粋無垢な感受性が、心臓の鼓動のように、伝わってくる。

 

難しい表現、思わせぶりな言い回しがないところが良いと、強く思う。

 

詩は簡単な方がいい。簡単に書けないのは、人間の弱さ、卑屈さではないのか。

 

この「ひばりのす」を読み、私は全うな普通の人を回復する。なんと私の日常は病んでいることか。

 

木下夕爾のプロフィールと「晩夏」という詩については、こちらへどうぞ

 

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高田豐志命の短歌「夕風に心淸めて祈るかな 永久(とは)に幸(さち)あれ敷島の國」

高田豐志命さんという19歳の青年が遺した短歌をご紹介。

 

夕風に心淸めて祈るかな

永久(とは)に幸(さち)あれ敷島の國

 

父母(ちちはは)の無事に居ますといふ便り
再び仕へむ時はなけれど

 

便りだす時し偲ばゆ古里(ふるさと)の
母たそがれて仕事終へしか

 

高田豐志命さんは、昭和20年5月、19歳の若さで、特攻戰死されました。

 

以上の3首は「大東亜戦争殉難遺詠集」に収められています。

 

3首とも戦争に服役中に詠まれたもの。死を覚悟した若者の清冽な魂が、気負うことなく、静かに歌っているために、感動が純粋に沁み渡ります。

 

凛々しく、澄んだ心を抱いた若者の短歌から、汚染され過ぎた私たち現代人が学べるものはあまりにも大きいと言わねばなりません。

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