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長田弘の詩「原っぱ」

長田弘の「原っぱ」という詩をご紹介します。

 

原っぱ

 

原っぱには、何もなかった。ブランコも、遊動円木も
なかった。ベンチもなかった。一本の木もなかったから、
木蔭もなかった。激しい雨が降ると、そこにもここにも、
おおきな水溜まりができた。原っぱのへりは、いつもぼ
うぼうの草むらだった。
きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。
はじめてカミキリムシをつかまえたのも、きみは原っぱ
で、自転車に乗ることをおぼえた。野球をおぼえた。は
じめて口惜し泣きした。春に、タンポポがいっせいに空
飛ぶのをみたのも、夏に、はじめてアンタレスという名
の星をおぼえたのも、原っぱだ。冬の風にはじめて大凧
を揚げたのも、原っぱは、いまはもうなくなってしまっ
た。

原っぱには、何もなかったのだ。けれども、誰のもの
でもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもない
ものがあった。きみの自由が。

 

二十代の頃、数年間だが、詩の同人誌を運営したことがあった。

 

その時の同人が書いた詩に、同じタイトルの「原っぱ」があったのだ。

 

正直、その同人が書いた詩の方が、長田弘の詩より優れている。

 

自分自身と原っぱとの関係性を、まさに少年詩人の感性で、結晶化したのが、私の知る同人の「原っぱ」だった。

 

しかし、長田弘の説明文のような「原っぱ」も良い。なぜなら、私にたった一つのことを気づかせてくれたから。

 

その一つこととは、今の世の中に最も必要なものは「原っぱ」だ、という真実。

 

何もない空き地、機能性も効率性も経済性も、何もない、何の役にも立たない余白のような場が、現代人にはどうしても必要だ。

 

社会を、街を、人の頭の中さえも、打算だけの味気ないものすることが、現代文明の進化と呼ばれるものの正体かもしれない。

 

人よ、原っぱを思い出せ、原っぱを取り戻せ、せめて、心の中に。

 

心の原っぱで、遊びまわれ、思うがままに悔いを残さぬように。

 

もちろん、何もしないで空を眺めているだけでもいい、流れる雲の行く末を想っているだけでもいい。

 

人間よ、いったん時計を止められないか、時計を止めて、再び動かす時は、今までの十分の一の速度にしようじゃないか。

 

そして、社会に、街に、暮らしの中に、そして心の中にも、原っぱのようなホワイトスペースを設けよう。

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黒田三郎の詩「夕方の三十分」

今回は黒田三郎の「夕方の三十分」という詩をご紹介します。

 

夕方の三十分

 

コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキーをひと口飲む

折り紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分

 

僕は腕のいいコックで

酒飲みで

オトーチャマ

小さなユリの御機嫌とりまで

いっぺんにやらなきゃならん

半日他人の家で暮らしたので

小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」

「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」

「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」

卵焼きをかえそうと

一心不乱のところへ

あわててユリが駆けこんでくる

「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる

 

化学調味料をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキーをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨー オトー」

「ハヤクー」

 

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る

「自分でしなさい 自分でェ」

かんしゃくもちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

おやじが怒って娘のお尻をたたく

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

 

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

おやじは素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり坐る

 

この詩「夕方の三十分」は、「小さなユリと」(1960年刊)に収録されている。

 

私はこの詩集を持っていないが、おそらくは黒田三郎とその娘との生活詩を集めたものだろう。

 

日本の詩は戦後、大きく変わった。戦前の詩と戦後の詩に、連続性はほぼない、と言っていいほどだ。

 

あの悲惨な戦争が終わったのだから、変わって当然だが、その変わり方が、日本人にとって、日本文学にとって、幸福だったとはどうしても思えない。

 

黒田三郎(1919年(大正8年)2月26日生まれ、1980年(昭和55年)1月8日に死去)は、その戦後のいわゆる日本現代詩を代表する詩人だ。

 

私が若い頃は、黒田三郎はほどんど読まなかった。物足りなかったからだ。悪い言い方になるが、馬鹿にしていたのかもしれない。

 

しかし、2021年12月現在、読み返してみると、けっこう良いのである。

 

片意地はらずに、大げさな思わせぶりの難解な詩など読みたくもないが、黒田三郎はその真逆の詩を書いてくれた。

 

わかりやすく、日常の目線で、肩の力をぬいて書かれた言葉は、生き生きとしている。

 

生活感覚を、生き生きと伝えている。

 

これでいい。こういう詩もあっていい。

 

いや、渇き切った、ささくれだった現代には、こういう詩こそ必要なのかもしれない。

 

⇒この他の黒田三郎の代表作には「紙風船」があります。

 

まだ、黒田三郎には良い詩があるので、機会を改めてご紹介する予定です。

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吉野弘の詩「夕焼け」

今回は吉野弘の「夕焼け」という詩をご紹介します。

 

夕焼け

 

いつものことだが

電車は満員だった。

そして

いつものことだが

若者と娘が腰をおろし

としよりが立っていた。

うつむいていた娘が立って

としよりに席をゆずった。

そそくさととしよりが坐った。

礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。

娘は坐った。

別のとしよりが娘の前に

横あいから押されてきた。

娘はうつむいた。

しかし

又立って

席を

そのとしよりにゆずった。

としよりは次の駅で礼を言って降りた。

娘は坐った。

二度あることは と言う通り

別のとしよりが娘の前に

押し出された。

可哀想に

娘はうつむいて

そして今度は席を立たなかった。

次の駅も

次の駅も

下唇をキュッと噛んで

身体をこわばらせてーー。

僕は電車を降りた。

固くなってうつむいて

娘はどこまで行ったろう。

やさしい心の持主は

いつでもどこでも

われにもあらず受難者となる。

何故って

やさしい心の持主は

他人のつらさを自分のつらさのように

感じるから。

やさしい心に責められながら

娘はどこまでゆけるだろう。

下唇を噛んで

つらい気持で

美しい夕焼けも見ないで。

 

知人から最初にこの詩の存在を教えてもらった時、正直「これが詩なの?」と思った。

 

吉野弘の他の作品も、基本、韻律というものがなく、ただの散文のようにもとれる。要するに、歌う要素がないのである。

 

それと、人生の真実を散文的に伝えるにせよ、もっと深淵なるもの、崇高なるものを主張しなければ試作品とは呼べないのではないか、といぶかしんだのを憶えている。

 

現代詩の名作集には、必ず吉野弘の作品が選ばれる。その理由は?

 

他に良い詩作品が少ないからだと言ったら、吉野弘の愛読者さんには失礼だろう。

 

人生の基本的な真実を、日常生活と同じ目線から、わかりやすい言葉で、歌うのではなく、あえて説明したところが、吉野弘の独創と言えるかもしれない。

 

詩はもちろん、散文でも、文学においては「説明するな」が基本作法だ。

 

「説明なんかしたら元も子もない」ことを、あえて説明し、それが幼稚にも陳腐にもなっていないところが、吉野文学の凄いところと言えよう。

 

この「夕焼け」においては、最後の一行「美しい夕焼けも見ないで」が効いている。

 

タイトルを概念後ではなく、「夕焼け」としたことで、多くの人が詩としてこの作品を愛好できるようになった。吉野弘の勝利である。

 

吉野弘の詩のその他の詩はこちらに

 

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