今回は黒田三郎の「夕方の三十分」という詩をご紹介します。

 

夕方の三十分

 

コンロから御飯をおろす

卵を割ってかきまぜる

合間にウィスキーをひと口飲む

折り紙で赤い鶴を折る

ネギを切る

一畳に足りない台所につっ立ったままで

夕方の三十分

 

僕は腕のいいコックで

酒飲みで

オトーチャマ

小さなユリの御機嫌とりまで

いっぺんにやらなきゃならん

半日他人の家で暮らしたので

小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う

 

「ホンヨンデェ オトーチャマ」

「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」

「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」

卵焼きをかえそうと

一心不乱のところへ

あわててユリが駆けこんでくる

「オシッコデルノー オトーチャマ」

だんだん僕は不機嫌になってくる

 

化学調味料をひとさじ

フライパンをひとゆすり

ウィスキーをがぶりとひと口

だんだん小さなユリも不機嫌になってくる

「ハヤクココキッテヨー オトー」

「ハヤクー」

 

かんしゃくもちのおやじが怒鳴る

「自分でしなさい 自分でェ」

かんしゃくもちの娘がやりかえす

「ヨッパライ グズ ジジイ」

おやじが怒って娘のお尻をたたく

小さなユリが泣く

大きな大きな声で泣く

 

それから

やがて

しずかで美しい時間が

やってくる

おやじは素直にやさしくなる

小さなユリも素直にやさしくなる

食卓に向かい合ってふたり坐る

 

この詩「夕方の三十分」は、「小さなユリと」(1960年刊)に収録されている。

 

私はこの詩集を持っていないが、おそらくは黒田三郎とその娘との生活詩を集めたものだろう。

 

日本の詩は戦後、大きく変わった。戦前の詩と戦後の詩に、連続性はほぼない、と言っていいほどだ。

 

あの悲惨な戦争が終わったのだから、変わって当然だが、その変わり方が、日本人にとって、日本文学にとって、幸福だったとはどうしても思えない。

 

黒田三郎(1919年(大正8年)2月26日生まれ、1980年(昭和55年)1月8日に死去)は、その戦後のいわゆる日本現代詩を代表する詩人だ。

 

私が若い頃は、黒田三郎はほどんど読まなかった。物足りなかったからだ。悪い言い方になるが、馬鹿にしていたのかもしれない。

 

しかし、2021年12月現在、読み返してみると、けっこう良いのである。

 

片意地はらずに、大げさな思わせぶりの難解な詩など読みたくもないが、黒田三郎はその真逆の詩を書いてくれた。

 

わかりやすく、日常の目線で、肩の力をぬいて書かれた言葉は、生き生きとしている。

 

生活感覚を、生き生きと伝えている。

 

これでいい。こういう詩もあっていい。

 

いや、渇き切った、ささくれだった現代には、こういう詩こそ必要なのかもしれない。

 

⇒この他の黒田三郎の代表作には「紙風船」があります。

 

まだ、黒田三郎には良い詩があるので、機会を改めてご紹介する予定です。

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