ら抜き表現(言葉)と可能動詞

「出れる」「見れる」「食べれる」といった、いわゆる「ら抜き表現(言葉)」は、公性を重んじる企業サイトや公式サイトなどはもちろん、やはり、個人メディアであるブログにおいても、使わない方が良いでしょう。

 

妙にくだけた感じになるだけでなく、品がない、センスが悪いととる人もいるはずですから、気をつけましょう。

 

「出られる」「見られる」「食べられる」が正しいことは言うまでもありません。

 

文法的に言いますと、上一段・下一段活用の動詞は、可能表現(可能動詞として)は使えません。

 

一方、「取る」「行く」「会う」などの五段活用の動詞は、「取れる」「行ける」「会える」というふうに可能動詞にして使うことができます。

 

可能動詞は、「行くことができる」「取ることができる」といった長い言い回しを「行ける」「取れる」と簡潔に書けるメリットがあるのです。

 

なお、「食べられる」という表現には「可能」「受け身」「尊敬」という3つの意味があります。少し紛らわしいのですが、この点が日本語の難しさと言えそうです。

話し言葉と書き言葉の神レベルの調和が味わえる電子書籍とは?

当ブログで何回ともなくご紹介している小林秀雄の「考えるヒント」ですが、今回は少し切り口を変えてレビューいたします。

 

ちょっとした時間を盗みとるようにして、スマホで電子書籍を読んでいます。最近、なぜか読書時間が減ってきて、これではマズイなあと感じていたのですが、スマホで電子ブックを読むようになってから、また読書の楽しみを再確認できるようになりました。

 

※読書経験の少ない人は、紙の本から入ることをオススメします。

 

一般書籍、つまり紙の本は極力減らし、電子書籍だけを買うことに決めました。本を買いすぎてきた人間の苦肉の策です。

 

さて、今日ご紹介する電子書籍は、小林秀雄の「考えるヒント3」です。

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自分の言葉を持つことの意味

文章を読んで、意味はしっかりと書かれているし、情報としても間違っていないのに、面白みに欠けるブログを多く見かけます。

 

いろんな原因があると思うのですが、ブログが面白いか、面白くないかは、ブロガーが自分の言葉を持っているかどうかで決まると、最近になって強く感じるようになりました。

 

聞きかじった情報、既成概念、常識の枠を出ないことがらを、ことさら難しく書いている人がいますが、ほとんど意味がないと言いたくなってしまいます。

 

簡単なことを難しく書いて高尚そうに見せるのがブログではありません。ブログ記事は、難しいことを簡単にわかるように配慮して書くべきです。ブログは大衆のためのメディアだから。

 

語り方を一つ間違えると複雑になってしまうことを、わかりやすい表現で語ることが基本。その上に、自分の言葉で書かれていれば、魅力は格段にアップします。

 

自分の言葉で書くとは、独創的な表現をするという意味ではありません。受け売りではない、自分の思考や経験から会得したことがらを伝えられれば、自分の言葉で語ることができたことになり、自分の言葉を持ったことになるのです。

 

自分の言葉を持つことで、人は誰にも支配されない独立性を有することができます。