新藤兼人の映画「第五福竜丸 」の感想

浜松に住んでいる頃、近くにツタヤの大型店がありました。そこで、新藤兼人監督の「第五福竜丸」を借りたことがあります。

 

黒澤明、小津安二郎、溝口健二という名匠と呼ばれる映画監督の作品は、かなり見てきたのですが、新藤兼人監督の映画は、あまり見てこなかったのです。

 

しかし、実際に見てみると、ズシンと来るものがありました。

 

第五福竜丸

 

日本人漁夫がビキニ環礁で遭遇した水爆実験の被害事件を描いたもので、「米」の八木保太郎と新藤兼人の脚本を、「悲しみは女だけに」の新藤兼人が監督した。撮影は植松永吉・武井大が担当。 (キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)

 

今さら、こういう古い映画を誰が見るのだろうか?と思っていたのですが、新藤兼人監督の映画は、私が住む浜松市ではかなり人気が高いようでした。

 

なぜなら、10本以上もある新藤作品のほとんどが貸し出し中だからです。

 

この現象は意外でした。浜松では、小津よりも、新藤兼人の方が人気があるとは…。

 

といいつつも、残念なことに、どのDVDレンタル店に行っても、名作映画のコーナーは縮小の一途をたどっています。

 

いつか、名作映画がレンタル店から姿を消すのではと、不安になることもあるのですね。

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岩井俊二「Love letter」の感想

岩井俊二監督の映画について、まだ語っていませんでしたね。

 

ほとんどすべて観ているのですが、やはり、真っ先にあげるべきは、「Love Letter」でしょうか。

 

Love Letter

 

『Love Letter』(ラヴレター)は、1995年公開された岩井俊二監督の日本映画。

 

中山美穂豊川悦司主演。誤配された恋文からはじまる、雪の小樽と神戸を舞台にしたラブストーリー。

 

TVドラマやCMなどで活躍していた岩井俊二の劇場用長編映画第1作。

 

思い出に鮮明な作品。

 

最初見た時、アッという感じだった。

 

映画を見なくなっていた頃だ。

 

新しい映像が出てきたな、と嬉しい気分になったのを憶えている。

 

これこそ理屈ぬきで感じればいいだろう。感じなかった人にとっては、この映画はつまらないということになる。

 

少女感覚(男も持っている)を呼び覚ましてくれる映像詩。

 

少女マンガのコマワリを見ているようなカット割り。少女の感覚世界に117分間、遊ばせてくれただけで充分だった。

 

少女をこれほど少女らしく描いた映画監督はいなかった。

 

男の感性というフィルターを通過していない、本物の少女が呼吸していると目に映った(女性の方は、どう思うだろうか)。

 

すぐに友人に電話。いい映画が出てきたぞ……その何日か後、落胆しきった友人の声が聞こえた。

 

〈俺、本当に、けっこう真剣に見たんだぞ、それなのに、ウー〉。

 

彼を慰めるのに苦労した。合わない人には、合わないみたいだ。渋谷系などと言うひともいるみたい…。

 

岩井俊二の他作品もかなり見ている。でも「Love Letter」がいちばん好きだ。

 

岩井俊二は少女である」というキャッチフレーズが、雑誌の表紙を飾っているのを観たことがある。

 

核心を突いた、いいヘッドコピーだと思った。

 

絶頂期の中山美穂の魅力も余すことなく抽出していた。

 

中山美穂も酒井美紀も、涙が出るほど、みずみずしい。

 

もう、みんな齢をっとってしまって見る影もないが、映画の中でだけは、女優のピークの輝きにいつも出逢えるのだ。それは嬉しいことでもあり、悲しいことでもあり……。

 

難しい映画評論など要らない、記念すべき、少女マンガならぬ少女映画の登場だった。

 

鑑賞のツボ

 

少女感覚で作られた、しかも非常に優れた、極めて珍しい佳作。

 

少女を描かせたら、岩井俊二監督が、ピカイチ。

 

そのピークがこの作品であり、女優・中山美穂のピークでもあった。

高倉健が主演した最後の映画「あなたへ」の感想

亡くなられた高倉健さんのことが頭を離れないのですが、昨夜、Webのストリーミングで遺作となった映画「あなたへ」を衝動的に見ました。

 

なかなか順序だてて感想を述べるのが難しい映画ですね。

 

思いつくままに、感想を書き記してみることにします。

 

ラストシーン

 

いちばん良かったのは、ラストシーン。歩いてい行く健さんを横から撮っている映像の長まわし。この映画にふさわしいラストだと感じました。

 

なぜなら、この映画は、高倉健のために、高倉健を撮るために制作されたといっても過言ではないからです。

 

主人公の極限まで退(ひ)いた視線

 

主人公は死んでいるわけではなく、今もなお生きています。しかし、主人公の視線は、死者と生者との中間に立って、現実を見ていると言いたいくらい、この世を限界まで退いて眺めているのですね。

 

おそらくは、この極限まで退いた視線が、この映画を特殊なものにしているのでしょう。

 

面白いとか、盛り上がるとか、クライマックスとか、映画の魅力である、そうした抑揚が、この映画にはありません。「黄色いハンカチ」のように、泣けるタイミングさえ、用意してくれていない。

 

高倉健が演じた主人公は、もう現実には生きていない、死んだ妻のことばかりを考え、今を生きる気力はない。だから、現実を遠い風景のように眺めて暮らさざるを得ないのです。

 

そうした主人公を誠実に描き出そうとしたら、面白い映画にはなりようがない。この映画の特殊性とは、そういうことだと思うのです。

 

謎の提示と解決、その意味は?

 

妻が遺した手紙の謎。それを解くために、主人公は旅に出ます。この映画が盛り上がるためには、その謎の解き方、そして、謎が解けた時の驚きが、視聴者にインパクトを持たなければなりません。

 

しかし、本来は大事であるはずの、謎解きでさえも、この映画は淡々と済ませてしまいます。

 

主人公の妻、その手紙にあるメッセージ

 

夫婦愛の形はさまざまあるでしょう。降旗康男監督が「あなたへ」で描いた夫婦愛は「お互いに自分らしく生きることを助け合う関係」なのかもしれないと感じました。

 

だとすれば、妻の手紙の意味は、故郷の海に散骨してもらうことで、私は本当の自分らしい自分に帰るから、あなたもこれからの人生を自分らしく生きてください」というメッセージが込められていたことになります。

 

謎解きにサプライズがないのは、意外性で視聴者を驚かすための謎ではなく、生き方を静かに示すための問いかけ&回答だからです。

 

豊穣から、静寂へ

 

「幸せの黄色いハンカチ」が、長い数々の試練をへて、再び夫婦となって生きられる男女の希望の物語でした。だから、映画には豊穣なるオーラがありました。

 

一方「あなたへ」は、真の癒しを求める人間の迷いと祈りの気持ちが、淡々と描かれています。「あなたへ」の主人公が求めているのは「希望」ではなく、積極的な納得と諦めなのです。ポジティブな諦観を得るための旅を描いた、ロードムービーだと言えます。

 

再びラストシーン。ありがとう、高倉健さん

 

正直、最後までこの映画を見て、作品として優れているとか否かとか、どうでもよくなってしまいました。

 

それよりも、何よりも、最後で、じっくり、たっぷり、高倉健さんを見させてくれた映画に感謝したい気持ちになりました。

 

最後まで凛然と演じられた高倉健さん。ラストシーンで健さんが、未来へ、そして静寂の場所へと向かって歩いてゆく姿を、忘れることはないでしょう。