浜松に住んでいる頃、近くにツタヤの大型店がありました。そこで、新藤兼人監督の「第五福竜丸」を借りたことがあります。
黒澤明、小津安二郎、溝口健二という名匠と呼ばれる映画監督の作品は、かなり見てきたのですが、新藤兼人監督の映画は、あまり見てこなかったのです。
しかし、実際に見てみると、ズシンと来るものがありました。
第五福竜丸
日本人漁夫がビキニ環礁で遭遇した水爆実験の被害事件を描いたもので、「米」の八木保太郎と新藤兼人の脚本を、「悲しみは女だけに」の新藤兼人が監督した。撮影は植松永吉・武井大が担当。 (キネマ旬報 全映画作品データベースより抜粋)
今さら、こういう古い映画を誰が見るのだろうか?と思っていたのですが、新藤兼人監督の映画は、私が住む浜松市ではかなり人気が高いようでした。
なぜなら、10本以上もある新藤作品のほとんどが貸し出し中だからです。
この現象は意外でした。浜松では、小津よりも、新藤兼人の方が人気があるとは…。
といいつつも、残念なことに、どのDVDレンタル店に行っても、名作映画のコーナーは縮小の一途をたどっています。
いつか、名作映画がレンタル店から姿を消すのではと、不安になることもあるのですね。
日本は昔、映画王国でした。
世界に誇れる名作をこれほどたくさん有している国は、滅多にないでしょう。
しかし、そうした良いものを語り継いでゆく文化が、この国は極めて薄いのですね。
詩人の谷川俊太郎さんは、あるテレビ番組で、日本は芸術まで消耗品のように扱っている、と嘆いていました。
例えば、モーツァルトの音楽は繰り返し演奏され味わうものであり、消耗される(使い捨てされる)ものではないですよね。
娯楽性が高い表現形式である映画であっても、名作は、いつまでも語り継がれ、繰り返し鑑賞されてゆくべきだと思います。映画は、心の栄養源だから。
今回、新藤兼人監督の「第五福竜丸」を見て、この映画も、今後ずっと語り継がれるべき作品だと確信しました。
ビキニの水爆実験、その死の灰を浴びた漁民たちを、冷静に、やや距離をおいた視点から静かに描いています。
重いテーマをあつかっていますが、社会派の堅苦しいドキュメントとしてではなく、面白い映画作品として味わえることも素晴らしいです。
陰惨な歴史の記録ではなく、温かみのある人間劇になっています。
こういう名画を観るには、タイミングが大切かもしれません。もしも、興味を覚えられたら、鑑賞してみてください。