「塔の上のラプンツェル」を見た感想

ふだんは滅多にアニメは見ないのですが、先日、なぜか見落としていた「天空の城ラピュタ」を鑑賞しました。その感想を、ある美大生と話したところ、ぜひとも「塔の上のラプンツェル」を見るべきだと教えらえたので、今回鑑賞した次第です。

グリム動画を長編アニメ化した、2010年のディズニー作品。

結論から言いますと、傑作だと感じました。

最近、映画でも、小説でも、音楽でも、その作品が優れているかどうか、自分にとって必要か不必要かどうか、その基準がハッキリしてきたのです。

読んだ時、見た時、聞いた時、こちらにどれだけの風圧が迫ってくるか、どれほどの光に自分が照らし出されるか、どれくらいのオーラが立ち上がってくるか、それだけで私は傑作か否かを判断するようになっています。

要するに、自分の奥底に潜んでいる原初的なパワーを、呼び覚ましてくれるかどうかが、作品としての分かれ道なのです。それを「命の喚起力」と呼びたいのですが……。

ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説を最初に読んだ時、あふれてくる光の強度、吹き上がってくる風圧の凄さにのけぞりました。その時と同質の純度の高さを感じました。

それゆえ、この「塔の上のラプンツェル」をを傑作と呼びたい、それが今の正直な気持ちです。

人は心の中に広大な空間(夢宇宙)を持って生きていることを、思い出させてくれました。その世界は、生きる歓びの根源と呼びたい光の国です。

光は生命エネルギーの源泉であり、人間も他の生命体と同じく、光を体内に取り入れ、それを生きる力に変えている、そんなことを再確認してくれる作品でした。

絵がやたらと立体的になっていることに、最初は少し違和感を覚えましたが、終いの方では、すっかり馴染んでいました。

こういう純粋な作品に接すると、現実生活はいかに夾雑物だらけであること、余計な情報にあふれすぎていることに気づきます。

余分なものをすべて捨て去り、光と風の国に旅立ちたい、そう心底感じられただけでも、大きな救いでした。なぜ救いなのかと言いますと、光と風の国は、自分の心の中に生きていることを確認できたからです。

「やおら」と「やにわに」の使い方を間違えていませんか?

「間違いやすい日本語」のコーナー、久しぶりに行ってみましょう。

 

今回とりあげるのは「やおら」と「やにわに」です。

 

以下の「やおら」の使い方は、どちらが正しいでしょうか?

 

 

1)彼女は僕を見つけると、やおら逃げ出した。

2)彼女はやおら立ち上がり、静かにその場をあとにした。

 

いかがでしょうか?

 

正解は2番目ですよ。

 

「やおら」は、ゆっくりと動作を起こすこと。「ゆっくりと」「おもむろに」という意味で使うのが正しい。

 

しかし、平成18年度の文化庁の調べによると「やおら」を「急に」「いきなり」の意味で使う人が、半数近くいることが判明しました。

 

おそらくは「やにわに」という言葉と混同しているせいでしょうね。

 

「やにわに」は「ただちに」「たちどころに」、また「だしぬけに」「突然」「いきなり」の意味で使われます。

 

繰り返します。

 

「やおら」は「ゆっくりと」「おもむろに」という意味で使うのが正しいのです。

 

「急に」「いきなり」の意味では、「やにわに」を使うのが正しいので、この機会にご確認くださいね。

 

マリノ・マリーニの勇気の出る名言に、愛弟子・吾妻兼治郎も驚嘆。

思い悩み、次の一歩を踏み出せないでいる時、あなたはどんな言葉をかけてほしいですか?

 

今になってようやく気づいたのですが、思い悩んでいる時に絶大な効力を発揮する言葉に、私は遠い昔に出逢っていました。当時の私にはその言葉の偉大さがわかりませんでした。

 

長い年月が過ぎ去った今、その時のことを思いだすと、胸が熱くなり、勇気がわきあがってくるのです。

 

マリノ・マリーニというイタリアの彫刻家をご存じでしょうか。ピカソと並び称される20世紀の巨匠です。

 

そんな偉大が芸術家に弟子入りした日本人がいます。吾妻兼治郎です。実際に彼はイタリアに渡り、マリーニのアトリエで学んだのです。

 

その吾妻さんから、私は直接、指導を受けたことがあります。私がまだ当時21歳でした。

 

小さなアトリエで、吾妻さんは、マリノ・マリーニについて、熱く語ってくれました。すべてが感動的な話でしたが、その中でも、特に印象に残っていることがあります。

 

それは、マリーニの指導方法です。

 

吾妻さんは、マリーニには、たった一つのことしか指導されたことがないと言いました。

 

マリーニは、アトリエにくると必ず、「吾妻、きみはこの作品で何をしようとしているんだね」と質問する。

 

吾妻さんは、自分の作品のテーマ、新たな試みなどについて、詳しく語ります。で、マリーニの答えは、いつも同じなのです。

 

よし、吾妻、それを思い切ってやってみろ

 

たったのこれだけ。え? という感じですよね。

 

でも実は、マリノ・マリーニの凄さは、この言葉にあるのです。そのことに私は最近になってようやく気づきました。

 

何かを、純粋にやろうとしている人がいたら、背中を押してやる、それが指導者に一番必要なことだと思います。

 

しかし、ありきたりな指導者は、ああだこうだと細かいことばかりをアドバイスしすぎて、伸びようとしている新しい芽を摘み取ってしまうのですね。

 

吾妻さんは、失敗するかもしれない。でも、そんなこと、マリーニはわかっているのです。マリーニはもっと大きなものを見つめているのだと思います。

 

小さな失敗など、ぜんぜん怖くない。自分のかかげたテーマ、理想にむかって、まっすぐに進みだす、それが何より大切なんだと、マリーニは、吾妻さんを、励ましていたのでしょう。

 

実は、吾妻さん以外の弟子にも、まったく同じ言葉しかかけなかったといいます。このあたりが、さすがに天才ですね(笑)。

 

弟子がやりたいと思っていることをとことん聞いて、それを深いところで理解して、すべてを認めてあげ、最後に「思い切って、やってみなさい」と励ましてくれる。

 

こんな師匠に、出逢ったら、本当に人生、変わると思いますね。

 

もちろん、マリーニのアトリエに出入りしている弟子たちは、優秀な人たちでしょう。基礎はすでにできている精鋭部隊に違いありません。

 

また、マリーニとの信頼関係ができあがっているからこそ、こうした「型破り」の指導法が有効だとも言えるでしょう。しかし私は、マリーニの指導法は、世界でいちばん単純かつ最良のコーチング術だと信じています。

 

私はこの10年で、さまざまなセミナーに参加し、さまざまな指導者について学んできました。この学びの10年を振り返ると、つくづくと思うのです。

 

背中を押してほしい時に、逆に足を引っ張られることの方が、何と多いことか。

 

コーチはテクニックをむやみに教えてはならないし、絶対に弟子を自分の狭い価値観の鋳型にはめ込んではいけないのです。

 

学ぶ人は、基礎は厳しく習得すべきですが、テクニックに走ると、最も大切なことを失うことになります。

 

自分の思いを遂げるためには、信じて前に進むことしかないのに、人は表面的な技巧に走り、戦略におぼれ、失敗へとつづく坂道を転げ落ちて行ってしまう。

 

真実は、驚くほど単純です。

 

あなたが今、次の一歩を踏み出せないで迷っているならば、勇気を出して力づ行く新たな一歩を踏み出すべきです。

 

最後にマリーニの言葉をもう一度繰り返します。

 

よし、思い切って、やってごらん